中国京劇雑記帳

京劇 すごく面白い

歴代の主な京劇俳優 小生

2003/08/27初出 2022/11/01更新

 

 

徐小香(1832-1882、一説では1902)

 本名を馨、または炘、号を蝶仙。祖籍は蘇州常州、蘇州呉県生まれ。
 もともと昆劇を学んでいたが、父と共に北京へ渡り、曹眉仙から小生を学ぶ。吟秀堂に入ってさらに学んだ後、四喜班に入団。間もなく程長庚の率いる三慶班に入り、「活き公瑾(三国志に登場する周瑜の字)」と評される。光緒年間半ばに引退し、故郷に戻って晩年を過ごす。弟の徐金兒も小生で昆劇を得意とし、息子の徐如雲は昆劇の旦。

 

王楞仙(1859-1928)

 名を鋆、または樹栄、字を楞仙、芸名を桂官、桂花。原籍は河北武清。北京生まれ。
 幼い頃に四喜班に入り、老生の鮑吉祥の父・鮑福山に拝師。徐小香からも指導を受ける。三慶班で長く演じ、責任者にもなった。中年になってからはノドを壊し、医学を志した。程継先、陸杏林、金仲仁がその芸風を継いでいる。

 

徳珺如(1852-1925)

 満族。貴族階級の出身。
 幼い頃から京劇が好きで、票友として青衣を演じていた。家の反対を押し切って役者になる。のちに小生を演じるようになった。芸風は徐小香の影響を受けており、金仲仁が芸風を継いでいる。

 

朱素雲(1872-1930)

 名を澐、号を紉秋、字を雅仙。江蘇蘇州人。父・朱小元は武旦。
 九歳のときに銭秋綾の門下に入って昆劇の旦を学ぶがのちに小生を学ぶ。四喜班の鮑福山に拝師。十二歳の時に上海で公演し、評判となった。光緒三十三年(1907)には自ら慶寿班を結成する。王瑶卿、楊小朶で「三美」と呼ばれた。辛亥革命の後、梅蘭芳、尚小雲、程硯秋らと共演を重ねた。孫の盛齢は青衣で、富連成で学んだ。

 

程継先(1874-1944)

 本名を継光、春徳、字を振庭。安徽潜山人。祖父は程長庚、父は程章圃。
 幼い頃に小栄椿科班に入り、楊隆寿、姚増禄、陳春元から指導を受ける。最初は老生を学んでいたが、王楞仙に啓発されて小生を学ぶようになる。卒業間もなく恭王府の役人になり、辛亥革命の後また舞台に戻っている。弟子には兪振飛、白雲生、葉盛蘭などがいる。

 

金仲仁(1886-1950)

 本名は愛新覚羅春元。満族
 幼い頃から京劇が好きで、票友として翠峰庵、粛王府の票房で演じていた。のちに正式に徳珺如に拝師、俳優となる。多くの名優と交流があったが、特に荀慧生の新作で共演した。中華人民共和国成立後は戯曲実験学校の名誉教授として招かれる。弟子には高維康、蘇維明、董維賢、関維芳、洪維良、周維俊、王維秋、王維筠などがいる。また教え子には李徳彬、高金儒、張春孝などがいる。

 

姜妙香(1890-1972)

 名を汶、字を慧波。原籍は河北献県、北京生まれ。
 幼い頃から謝双青、田宝琳から青衣を学ぶ。のちに陳徳霖に拝師。王風卿、許蔭棠、龔雲甫らと洪奎社を結成し、青衣の芝居で頭角をあらわす。小生に改行後、馮惠林、陸杏林に拝師。1916年頃から四十年間に渡って梅蘭芳と共演するようになる。弟子には閻慶林、江世玉、徐和才、劉雪涛、黄定などがいる。晩年は中国戯曲学校で教鞭をとり、蕭潤徳、夏永泉、葉少蘭などが指導を受けた。

 

兪振飛(1902-1993)

 号を箴非。江蘇松江人。江南昆劇の名優・兪粟廬の息子。
 幼い頃から家で学び、演じる昆劇のレパートリーは二百余りを数えた。1920年に父と共に上海に渡り、京劇を学ぶ。北京に渡って程継先の門下に入る。再び上海に戻って大学で教鞭をとっていたが程硯秋の再三なる要請で舞台に戻る。昆劇の唱や演技のやり方をもとに芸の幅が広く、教え子は昆劇、京劇を問わず百人を超え、葉盛蘭も拝師している。

 

葉盛蘭(1914-1978)

 本名を瑞章。原籍は安徽太湖、北京生まれ。富連成の創始者・葉春善の第四子。
 幼い頃に富連成科班で青衣、武旦を学び、後に小生を学ぶ。張彩林、蕭連芳から文戯(唱や台詞、仕草が中心の芝居)を学び、茹富蘭から武戯(立ち回り中心の芝居)を学ぶ。卒業後、程継先に拝師。馬連良、言慧珠、章遏雲、李玉茹らと共演した。1951年に中国京劇院一団団長をつとめた。息子の葉少蘭は小生で、父の芸風をよく受け継いでいる。