2023/11/12更新
苦節十八年の時を経て
夫婦は再会する
京劇《紅鬃烈馬 Hong zong lie ma 》の一折《武家坡 Wu jia po 》
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唐代。丞相・王允の三女である王宝釧 Wang Bao chuan は、貧しい薛平貴 Xue Ping gui を嫌う父の反対を押し切り駆け落ちする。薛平貴は出世するも陰謀により戦地に取り残されて捕虜となり、西涼国の代戦公主と結婚して王位を継ぐ。
ある日、狩りで仕留めた雁の足に薛平貴の帰りを信じて待つ王宝釧によってしたためられた血書をみつける。
そして…
《武家坡》
あらすじ
薛平貴は十八年ぶりに戻って来て、武家坡で王宝釧に再会する。しかし、姿がすっかり変わってしまった薛平貴を王宝釧はわからない。それに乗じて薛平貴は王宝釧が心変わりをしていないか確かめようと王宝釧をたぶらかす。
怖がる王宝釧は竈へと逃げ帰り、追ってきた薛平貴は今までのいきさつを話す。そして夫婦は再会を喜ぶのであった。
解説
「馬に乗り西涼の堺を離れて」
幕内から馬鞭を振るって薛平貴が登場。ここの掴みは老生のノドが披露されるききどころ。
思わず涙があふれるこの胸の思い
山は青く 緑が美しい花が咲き乱れるこの世界
この平貴 さながらはぐれた雁が戻ってきたかのよう
義父の王允はこの私を貧しいからと悪意をもって
義兄の魏虎は私を陥れて殺そうとした
苦しめられたこの私は何を為しに来よう
柳の下に馬をつなぎとめる この武家坡の外れ
見渡せば農作業をしている人たちに王宝釧のことを訊ねると、たった今まで野菜をとっていたとのこと。携えてきた手紙を受け取りに来るよう声かけを頼む。
王宝釧が言付けを聞いて登場。様子を見るため敢えて野菜をとりながら、向こうから尋ねてくるのを待つことにする。
薛平貴は近くで野菜をとっている婦人が妻に似ていると思いつつ無礼のないよう声をかけてみる。
王宝釧は手紙を受け取ろうとするが、薛平貴からの伝言で本人に直接渡してほしいとのことで持ち帰るしかないと聞かされる。
「まあ!わたくしの夫が家を離れて十八年、今になって手紙が来たなんて。受け取るにもこんなに服がぼろぼろでは…しょうがないわ」
王宝釧は謎かけをして自分の正体を明かし、手紙を受取ろうとする。
「おお!私が家を離れて十八年、今日、夫婦が対面したのだ。でもお互い分からない…そうだ」
薛平貴は王宝釧の貞節を見定めようそのまま他人を装ってからかおうとする。
道すがら雁を射落とした際、手紙を入れておいた弓挿袋を落としてしまったと聞かされて嘆く王宝釧。
手紙を書いていたときに傍にいたので内容を覚えているから大丈夫、となだめながら距離を詰めてくる薛平貴に王宝釧は怒って
「近寄らないで!」
と一喝。
軍営で月明かりのもと薛兄は手紙を書いたと語り掛ける薛平貴。軍では食事を提供され、衣類が破れれば繕われていたと王宝釧に様子を伝える。
しかし異国に身を置く苦労や不遇を聞かされて
「まあ、なんてかわいそうなあの人…」
と王宝釧が悲しむと慰めながら馴れ馴れしくしようとする薛平貴。
「近寄らないで!」
とまた憤然と一喝する王宝釧。
そして薛兄は軍馬を失ってしまい、その賠償金の銀十両を彼に貸していると伝える。
「奥様はご存じないでしょうが、薛兄は風来坊で飲み食いに賭け事が好きでどうしようもなかった。私は家が貧しかったのでお金をためていたのですよ。それを貸したのです」
「まさか!そんなことがあるはずありませんわ!」
「どうしてです?」
「わたくしの夫も貧しいところの出です。無駄遣いなんて」
「おお!兄さん、はじめて知りましたよ。あなたの家が貧しかったなんて。ははは」
「笑われてしまったわ」
あくまでも当事者で話をつけなさいと王宝釧ははねつける。
「妻は関係ありません!」
「はっきりさせましょうか。薛兄は妻を売ったのですよ。奥さんをこの私にね」
「まって!この私に、って…」
「この私、ですよ」
「どこに証拠があるんです!」
「婚姻の証書があります」
「見せてください!」
「待ってください。奥さんは気の強いお方だ。それを見せた途端、破り捨てられるかもしれない。私が大損してしまう。その先の村へ行って皆の前で見せましょう」
なんてひどい!夫の為に裕福な実家を出て、夫の為に実父と決別したのに、夫が妻を売るなんて!嘆き悲しみ怒りの声を上げる王宝釧。
ふたりの唱の掛け合いが繰り広げられるここはききどころ。
姉婿たちが証人というなら実際に会ってはっきりさせましょう、高官にある父から元利あわせて全てお返しします、いっそ役所に送られて罰を受けることになるやもしれませんよ、と追い詰めてくる薛平貴に毅然と返す王宝釧。
「いろいろな手でからかってみたもののすべて通用しなかった」
取り出した銀子を地面に置く薛平貴。
「これを持って行くがいい。化粧箱を作り、彩絹を買い、服を作り、首飾りを買い、簪を置くがいい。私と夫婦として過ごして行こう」
「わたくしは要りません。あなたのお母さまとの暮らしにお使いなさい。白布を買い、白い服を作り、白い紙を買い、白い幟を作り、親孝行の名を天下に轟かせればいいでしょう」
「なんという烈女であろう!さあさあ、共に行こう馬に乗って!さあ、お乗りなさい!」
相手の気迫に怯んだ王宝釧、この場をどうしようかと思いめぐらせ突如ひらめき砂を一掴み。
「あら、誰か来ましたわ」
「どこに?」
王宝釧が指さす先を薛平貴が見ているところ
「ここですわ。えい!」
王宝釧は目くらましに砂を投げつけてその場を去る。
しばらくして抑えていた目元から手を放して笑い出す薛平貴。
「なんと貞節な王宝釧。わたしのために苦しい目にあってきたのだな。馬に乗らずに追いかけて、我ら夫婦は寒窟の前に再会する」
前を行くのは王宝釧、後を追うのは薛平貴。竈(質素な洞窟式住居)に戻ると王宝釧は扉を閉じてしまう。
薛平貴は竈の前で今までのいきさつを伝えて、証として王宝釧自身が血でしたためた書を示す。それを見て本当に夫が帰ってきたんだわ!と改めて見てみるもまるで別人。
出会った頃とは当然違うよ、鏡を見てごらんと促す薛平貴。貧しい暮らしで鏡などあるわけもなく、代わりに水盤の水面を見る王宝釧。そこには老いた自分が映っている。十八年という年月を経て、お互い姿がすっかり変わってしまったことを実感する。
扉を開けて確かめたのち、頭を打ち付けて死んでしまった方がましと嘆く王宝釧をなだめてこの十八年どうしていたのかを伝える薛平貴。そして、王宝釧が実家の援助を得ることなく絶縁したままでいたのを知る。
この十八年の褒賞を得んと宰相である王宝釧の父に会わねばという薛平貴。
「父は病いに…」
「何の病いだね?」
「あなたに会いたくない病いです」
天下をおさめる自分と会わずにいられようかと薛平貴は宝の品々を見せる。
王宝釧は封じてもらおうと跪く。いやいやちょっと待ちなさいと武家坡での振る舞いを咎める薛平貴。
「そのときはあなただと存じませんでしたから…」
「わたしだとわかっていたら?」
「さらにあなたを罵りました」
王宝釧、実に素直。それではなおさら封じることなどできるかね、と薛平貴に言われてもう結構と下がろうとする王宝釧。まあまあまあ、そんなわけないだろうと薛平貴は引き止めて西涼国の代戦公主の存在を伝える。そして先に妻となっている王宝釧を正式に迎えて参殿しようと言う薛平貴。
「夢ではない、現実だよ」
「本当に?」
「本当に」
「どうぞこちらにいらして」
「ははははは」
ふたり、仲睦まじく去り幕が下りる。
鑑賞
CCTV春晩
薛平貴:張克
王宝釧:李佩紅
天津の楊(宝森)派老生の張克と程(硯秋)派青衣の李佩紅
薛平貴が王宝釧に共に来るよう迫る場面からふたりの唱の掛け合いをどうぞ
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