中国京劇雑記帳

京劇 すごく面白い

京劇演目紹介《坐楼殺惜》(《烏龍院》)(水滸伝)

2024/01/05更新

 

息をのむ男女の愛憎劇

水滸伝の英雄・宋江梁山泊へ加わる前日譚

 

 

あらすじ

 山東鄆城縣の押司・宋江は烏龍院を建てて閻惜姣を住まわせていた。閻惜姣の母が夫の葬式代を出してもらった宋江に恩を感じて娘を引き合わせたのであった。しかし、閻惜姣は書生の張文遠と恋仲になっており、宋江は怒って烏龍院を出ていく。

 そこに豪傑が集う梁山泊の一味の劉唐が現れる。かつて宋江が逃がすのに協力した梁山泊頭目・兆蓋からの感謝の手紙を携えていた。手紙を受けとった後、出くわした閻惜姣の母に強く促されて宋江は烏龍院へ戻る。

 朝が来て宋江は急いで立ち去るが、手紙を落としてしまう。閻惜姣は手紙を見つけて宋江梁山泊のつながりを知る。

 手紙の紛失に気づいて宋江は慌てて戻ってくる。閻惜姣が持っているのを見て手紙を返すよう懇願するが法廷で返すと告げられる。追い詰められた宋江は閻惜姣を殺してしまう。

 

ポイント

 なんと言っても面白いのは後半。宋江がだんだん追い詰められていって閻惜姣を刺し殺す凶行に及ぶ過程が緊迫感溢れている。

 台詞と仕草、絶妙の「間」が重要な「做工戯」で役者の力量が問われる芝居。

 

ハラハラする緊迫のやりとり

 

宋江(縣の役人) 老生

閻惜姣(宋江の妾) 旦

張文遠(書生) 丑

劉唐(梁山泊の一味) 浄

閻婆(閻惜姣の母) 老旦

 

解説

第一場 

 ときは北宋の末期。

 奸臣が巣食う世の中、義侠心故に法に触れた豪傑たちの集う梁山泊

 その首領・兆蓋がまず登場。以前、捕まったときに逃がしてくれた宋江に恩義を感じて、いっそ梁山泊に引き入れたいと思う兆蓋は、軍師・呉用に相談する。

 呉用はまず感謝の手紙と銀子を宋江に渡して意向を聞いたらどうかと提案し、劉唐が手紙の使いに出ることになる。

 

第二場

 一方、烏龍院。

 宋江の後輩・張文遠がこっそり閻惜姣を訪ねて来る。閻惜姣は辺りをうかがいながら張文遠を招き入れる。

「あなた、お元気にしてた?」

「もちろん元気です。大姐はお元気にしてましたか?」

「んふふふ。もちろん元気よ」

こっそり逢瀬を楽しむふたり。

 

第三場

 宋江が登場。

 仕事も終わって烏龍院に向かっている道中、

「先に行くのは張文遠、後に行くのは宋公明、師弟ふたり行く道が同じ」

と、うわさするのが聞こえてくる。どういうことか?と訝しく思いながらも烏龍院にやってきた。だが鍵がかかっている。

「おい、開けてくれ」

「誰?」

「宋大爺の声がわからないのか?」

 慌てる閻惜姣と張文遠。閻惜姣は急いで張文遠を母の寝室に隠れさせてから戸を開ける。

 入るなり部屋中を見渡す宋江、平静を装う閻惜姣。戦闘開始である。

「掃除もしてないのか?前は画軸をかけてあったのに。それにわしに礼もなく席も用意しないで自分だけ先に座ってるなんてひどいじゃないか」

「あら、あなたそんなこともしてもらわないといけないお子様だったの?」

宋江は椅子を自分で用意して閻惜姣の近くに座るが煙たがられる。

「そんな近くに座らなくたって私の耳はいいわ」

「大姐、元気にしてたかい?」

「食べて飲んで元気じゃないわけないじゃないの」

「わしは元気だよ」

「誰もきいてないわよそんなこと!」

宋江に背を向けてしまう閻惜姣。さっきの張文遠に対する態度とはまるで正反対。

 

 靴の刺繍を始めた閻惜姣、手に持っているのは何かと宋江が聞けば、帽子だと答える。宋江がそれを見せてくれというと、閻惜姣は手が汚いと文句をいい、宋江がきれいにした手を指し出せば、渡すどころか地面に投げ捨てる。宋江は手が汚いと文句を言っておいてどういうことだと言えば、閻惜姣はどうせ靴は汚れるものだと言い返す。

 まったくつれない閻惜姣の態度に宋江は何か悩みがあるのだなと考える。それを当ててやろうと当てっこを始める。

「そんなことしなくていいわ」

と愛想をつけて言うものの、何だろうと無邪気に考え始めた宋江が閻惜姣は嫌でたまらない。

 ご飯がおいしくない、服が気に入らない、近所付き合いがうまくいかない、母親とうまくいかない、いろいろ言ってみる宋江。どれも違うと憎憎しげに答える閻惜姣。はやく出て行ってほしいのに…イライラする。

 宋江は最後に

「わしのことを想ってのことかな?」

となんともめでたいことを言い出した。

「大当たり!さすがだわ!よくわかったのねえ!想い焦がれちゃってもう大変!…って誰があなたの事を想ってるって言うの?妹さん?お姉さんかしら?」

 つっかかる閻惜姣に宋江はとうとう頭に来て、思い切って疑惑をぶちまける。

「巷ではお前が張文遠とできているという噂だぞ!」

ばれた…と思いきや、閻惜姣は急に甘えた声で擦り寄ってきた。

「ねえ、怒らないで。ね、私、今朝からお酒飲んでるの。ごめんなさい。ねえったら私の宋大爺!」

こう下手に出られては悪い気もしなくなって

「ま、これからは酒を控えるように」

宋江は気を取り直す。男女の情とは微妙である。

 いったんその場はなんとか収めたものの、宋江には早く帰って欲しい…閻惜姣はまた始めてしまう。

「誰が張文遠とできてるっていうのかしら?ひょっとしたら宋大爺、あなたじゃないの?」

「男が男とできるなんて道理があるか!」

「じゃあ、あなたのお母さんとできてるんじゃないの!?」

これを聞いてとうとう宋江は怒り出す。

「打つなら打ちなさいよ」

閻惜姣も開き直る。

 閻惜姣が出て行くと言い出すと、父親の葬式代も出せなかったお前に頼るものがいるのか、と言って売り言葉に買い言葉、勢いあまって自分が出て行く、跪いて誓ってやると宋江は言う。

 我が意を得たり閻惜姣、一緒に誓いましょうと跪くのを見て宋江が冗談だよと笑いながら言うがもう遅い。結局本当に誓いを立てさせられて、追い出される。そして宋江は怒って去っていくのであった。

 

第四場

 劉唐が登場。

 劉唐に呼びかけられても宋江は誰だったかな?とわからない。

「ああ、こんにちは…えーっと…」

なかなか分かってくれないのに業を煮やした劉唐は思わず口走る。

「俺は赤髪鬼の劉唐…」

 それを聞いて宋江は慌てて劉唐の口を塞ぐ。腐った世の中とは言っても宋江は曲がりなりにも役人、豪傑たちが集うと言っても梁山泊は反政府集団である。人に見られてはまずい…辺りを注意深く見渡して、とりあえず酒場に入る。

 宋江は劉唐から手紙と銀子を受け取る。手紙を見る宋江の手が震えている。手紙をしまうときも、手が震えてうまくしまえない。

 二人はそっと別れる。

 

第五場

 宋江が道を急いでいると、途中で閻惜姣の母・閻婆に会って無理やり烏龍院に連れて行かれる。

「おまえのいい人がきたよ」

「どのいい人よ」

母は名を告げずに答える。

「お前の愛しい人だよ」

 閻惜姣、張文遠だと思い込み、喜んで来てみれば、そこにいたのはあの宋江、母に悪態をつく。

 帰ると言って聞かない宋江を閻婆はいい画軸があるからといって引き止め、二人を二階に連れて行ってカギをかけてしまう。

 ここは舞台の手前で実際に何もないところで、下を見て着物を少したくし上げて階段を上る動作で表現される。

 仕方がないとばかりに二人は寝入る。テーブルを真中に舞台向かって右に宋江、左に閻惜姣。ひじを突いて目を閉じる。これで寝ているという約束事。

 

 初更を告げる太鼓が鳴る。まず宋江が起きる。昔の情を思い出して閻惜姣に近づくが、冷たくされたのを思い出して思いとどまる。宋江が寝ると今度は閻惜姣が起きてやはり同じように昔の情を思い出して宋江に近づくが、張文遠ために貞節を守ろうと思いとどまる。

 三更、再び宋江が起きだす。閻惜姣の態度への怒りに震えていっそ殺してやろうかと懐剣を手にするが思いとどまる。宋江が寝入ると今度は閻惜姣が起き出して、同じようにはさみを手に宋江に刺そうとするが思いとどまって再び寝入る。

 この場面はずっとうたをうたってそれぞれの心情を吐露する。こうして男女の複雑な想いが交錯した夜が明ける。

 五更。宋江が目を覚ます。シーンとしている。物音ひとつしない。

 夜が明けたようだ。ものすごく眠い…廂の隙間から外を覗く。急いでここを出よう、大事な袋を忘れてはいけない、懐では心もとない、そうだ脇にしっかり挟んで持とう。ドアを開けようとするが開かない。閻婆がカギを閉めてしまったようだ。床を踏み鳴らして一階で寝ている閻婆に知らせようとするがもどかしい。ドアを力任せにこじ開ける。急いで階段を下りて外に出て

「二度と来るか!」

と言い捨てる。しかしその言葉も後にあっさり覆すこととなる。人目を避けて急いで去る宋江、ドアをこじ開けた拍子に脇に挟んでいた大事な大事な手紙を入れた袋を落としてしまったことに気づかずに…。

 目がさめた閻惜姣、宋江がいない。全くなんなのよ、とふてくされて一階に下りようとしたら足元に何か引っかかる。袋?手にもってみると重い。中をさぐってみると銀子が入っていた。

「まあ!あの人の図書代にもらっておきましょう!」

とかわいい一面を見せる。この「あの人」が張文遠ではなく宋江ならば悲劇は起らなかったのだが。

 他に何かないかしら、とさらにさぐってみると手紙が入っている。

「差出人は…兆蓋…?兆蓋…梁山泊?!」

 宋江梁山泊に通じている!これが露見すれば宋江も一巻の終わり。切り札を得た閻惜姣は得意満面でその手紙を懐にしまい、再び寝床につく。

 

「しまった!!」

宋江、再び登場。

 血相を変えている。手紙はどこだ?!手紙手紙…来た道を引き返し、結局烏龍院に戻ってきてしまった。

 階段を上り、眠っている閻惜姣の傍らで自分の動きを反芻する。夜が明けたなと廂から外を伺う、急いでここを出よう、大事な袋を忘れてはいけない、懐では心もとない、そうだ脇にしっかり挟んで持とう、ドアを開けよう、開かない、床を踏み鳴らすがもどかしい、ドアを力任せにこじ開ける…!ここだ!ここで落としたのだ!

 そう気が付いた宋江は寝ている閻惜姣を急いで起こしにかかる。

 

宋江   わしが用心しなかったからだ、わしが用心しなかったから…

[自分を落ち着かせるようにつぶやく宋江

     ああ、大姐起きてくれ、大姐起きてくれよ、大姐、起きろ!

[面倒くさそうにゆっくりと目を覚ます閻惜姣]

閻惜姣  まあ、宋大爺、あなた出て行っちゃったんじゃなかったの?

宋江   おお、出て行ったのだがね、また戻ってきたのだよ。

閻惜姣  あなた何しに戻ってきたのよ?

宋江   ちょっと探し物でね。

閻惜姣  ひょっとして、物乞いのための袋かしら?

宋江   ああ!そう!そう!そうだ!まさに物乞い用の袋だよ!早く、早くわしに返してくれ!早く私に返してくれ!

閻惜姣  まあ、なにを慌てているの!考えても御覧なさい。他の人が拾ったらあなたの手元にかえってくるの?これから気をつけるのよ。これでしょ?ほら、持っていきなさいな!

[閻惜姣は袋をちらつかせながらもったいぶって説教していたかと思うと、袋を床に投げつけた。一瞬固まる宋江。しかし、ここは怒りをぐっと押さえて自分にいい聞かせる]

宋江   ああ、ああ、ああ。人は大姐がこの宋江をたばかっていると言うが今になって本当の情が分かってきたよ。今後見方をかえなければなあ。

[袋を手にとってみたが軽い]

     ああ、大姐、この中の銀子は?

閻惜姣  銀子?フン!この奥様が預かっているわよ!

宋江   そう、そうだよ。わしはもともとそれで大姐に髪飾りを買ってやろうと用意していたのだ。

[銀子はこの際どうでもいい。肝心の手紙は…手紙、手紙…袋を必死に探ったがいくらさぐっても空っぽで何もない。それを床に投げつけて閻惜姣に尋ねる宋江

     ああ、大姐、中の手紙は?!

閻惜姣  手紙?ちょっとお聞きしますけど、誰が書いた手紙なの?

宋江   友人からのものだ。

閻惜姣  手紙にはなんて書いてあったの?

宋江   ただの挨拶…だが。

閻惜姣  なにが挨拶よ!あなたは梁山泊と通じてるんでしょ!

宋江   おお!大姐よ!今までの情があるなら、手紙を、手紙を返してくれ!

閻惜姣  手紙が欲しいなら別に難しくないわよ。私にひとつ手を貸してくれれば。

宋江   何をするというのだね?

閻惜姣  役人でご飯を食べてるくせにわからないの?

宋江   なんのことかさっぱり。

閻惜姣  私に離縁状を書いて!私と別れてよ!

宋江   お前はわしの妻でもないのに離縁状だって?

閻惜姣  書かないの?

宋江   書けるわけないだろう。

閻惜姣  ああそう、書かないんだったら書かないのね。それじゃさよなら。

[部屋を出ようとする閻惜姣]

宋江   待て!どこに行く?!

閻惜姣  お母さんの部屋に行って休むのよ。

[このままではまずい…宋江は態度を軟化させる]

宋江   休む必要はない。書くから!

閻惜姣  書きなさい!書きなさい!

宋江   書いてやる!書いてやる!ん?大姐、やはり書けないよ。

閻惜姣  どうして書けないの?

宋江   ここには紙も筆も墨も硯もないだろう。

閻惜姣  ごらんなさいな!これでしょ?

宋江   大姐…とっくにそういうつもりだったのかね?

閻惜姣  そういうことよ。

宋江   ずいぶん前からそのつもりだったのか?

閻惜姣  そうね、ほんとのこと言うわ。一日や二日じゃないのよ。

宋江   よし!書いてやる!

閻惜姣  書きなさい!あ、ちょっと待って!私が言う通りに書いて。

宋江   ならば言え!

閻惜姣  わたくし宋公明は…

宋江   わたくし宋公明は…

閻惜姣  妻の閻惜姣を…

宋江   妾の閻惜姣を…

閻惜姣  妻!

宋江   妾!

閻惜姣  妻と書きなさいよ!

宋江   お前はわしの妻ではないのに、どうやって妻と離縁するのだ!

閻惜姣  わかった、わかったわよ!妾ね、妾、妾!

宋江   続けろ。

閻惜姣  改めて嫁がせる相手は張…

宋江   張、なんだ?!立つに早いの章か?弓に長いの張か?張か!

[憤然と詰め寄る宋江に一瞬おののく閻惜姣。しかし懐に手を当ててつぶやく]

閻惜姣  フン!こっちには手紙があるわ。何が恐いもんですか!

宋江に向き直る]

     はっきり教えてあげる。張文遠よ!

宋江   はは!みたところ本気のようだな。誰に嫁いでも構わんが、やつはダメだ!

閻惜姣  絶対あの人に嫁ぐわ!

宋江   絶対ダメだ!

閻惜姣  書かないのね?

宋江   許せん。

閻惜姣  許さないの…じゃあいいわ。それじゃさよなら!

[再び出て行こうとする閻惜姣]

宋江   どこに行く?!

閻惜姣  お母さんの部屋に行って休むのよ!

宋江   わかった!あいつに嫁ぐがいい!

閻惜姣  だったら書きなさい!

宋江   書いてやる!張文遠…持っていけ!

[書き上げた離縁状を突き出す宋江

閻惜姣  ちょうだいな。

[閻惜姣は嬉しげにそれを眺めていたが、急に不満な顔で宋江に言う]

     宋大爺、この離縁状、一枚でも十枚でも百枚でも千枚あっても用無しよ!

宋江   どうしてだ?

閻惜姣  あなたの拇印がないでしょ。

宋江   フン!この宋公明、妻とは別れず子は売らず!拇印を押せだと!

閻惜姣  押さないの?

宋江   押せるか!

閻惜姣  押さないなら押さなくていいわ。じゃあさよなら!

[閻惜姣は再び部屋を出ようとするそぶりをする]

宋江   お前はまた母の部屋に行って休むと言うのか?

閻惜姣  あら、わかっちゃった?いやなら押しなさい!

宋江   ああ!押してやる!

[親指を突き出した手を悔しさを押さえながら高々と掲げる宋江、その腕を振り下ろさせようとする閻惜姣。拇印が押された途端、すかさず離縁状を取り上げる宋江

閻惜姣  ちょうだい!はやくちょうだいよお!

宋江   待て。手紙を返してくれるならこれをやる。

閻惜姣  もお!せこい人ねえ!すべてあなたの手の内にあることなのに!

宋江   うむ、お前もこの宋大爺の手からは逃れられない。持っていけ!

[渡された離縁状をうれしげに読み上げる閻惜姣。『妾』という字が気に入らないが再婚相手には張文遠の名が]

閻惜姣  張文遠、張文遠!うふふ!うふふふふふ!宋大爺、ご苦労様。お疲れ様!

宋江   いやいや。

閻惜姣  それじゃさようなら。

[出て行こうとする閻惜姣に驚く宋江

宋江   どこに行く?!

閻惜姣  お母さんの部屋に行って休むの。

宋江   大姐、これはすべてお前のためにやったことだね、そうだろ?

閻惜姣  他に何かあったかしら?

宋江   大姐、わしは離縁状を書いた。お前は張文遠に嫁ぎたいと言って、わしは許した。拇印が要ると言うから押した。すべて言われたとおりにやったではないか。それなのにお前は手紙を返してくれない!はは、お前は人を騙そうと言うのか?

閻惜姣  ああ、わかったわ。あなたの言うこと聞くわよ。あなたは梁山泊の手紙が欲しいのよね?

宋江   そうだ。

閻惜姣  ここでは返せないわ。

宋江   どこで返してくれるのだ?!

閻惜姣  鄆城縣の法廷で!

[驚愕する宋江。搾り出すように閻惜姣に言う]

宋江   鄆城縣とは狼か?

閻惜姣  いいえ。

宋江   虎かね?

閻惜姣  違うわ。

宋江   どちらにせよこの宋江を呑み込んでしまうのだろう?!

閻惜姣  狼でも虎でもないけど、あなたは怖いみたいね!

宋江は思わず懐剣に手を伸ばすが思いとどまり哀願する]

宋江   ああ!大姐!今までのことを思うなら返してくれ。

閻惜姣  出てってよ!

宋江   大姐!返してくれええ〜!

閻惜姣  あっちに行って!

宋江   大姐!!

閻惜姣  やめなさいな!渡さないったら渡さないわ!ウフフ。さあ、どうしようっていうの?

 

 今はすっかり冷えてしまったとはいえ、かつては男女の情があった相手。哀願一辺倒の宋江は追い詰められた末、ついにキレて表情が一変する。

 

宋江   手紙はもういらぬ!フフン!

[唇に笑みを浮かべる宋江。ただならぬ気配におびえる閻惜姣]

     フフッ!フフフフフフッ!

     大姐…かっ…返してくれれば…よっ…よかったのになあ。

[興奮を押さえるためかどもる宋江、一方、恐怖を押さえようとするためか平静を装う閻惜姣もどもる]

閻惜姣  かっ…返さなかったら、どっ…どうだって言うの?

[その場でふたりはゆっくり回り始める]

宋江   かかかかっ返さないんだったら…わっわっわしは…

閻惜姣  なっ…な、なじるわけ?

宋江   ななな…なじらない…

宋江の左手は閻惜姣の襟元に、右手は足元に伸びていた…懐剣が忍ばせてある足元に。懐剣を忍ばせてある足を高く掲げて、片方の足でゆっくり回る。手は激しく震えている]

閻惜姣  ぶっぶっ…ぶつの?

宋江   ぶぶぶ…ぶたない…

[閻惜姣は悲鳴に近い声で叫ぶ]

閻惜姣  殺すの?!

宋江、閻惜姣の襟首を掴む]

宋江   ははははは!殺してやる!!

 

 懐剣を切りつける宋江。額に傷がつき、流れ出る血がついた手をみて驚く閻惜姣。額につく赤い傷(これ実は口紅の紅)。宋江は戸に鍵をかけて追い回す。

「きゃあああ!!!」

 閻惜姣は悲鳴をあげて必死で逃げ回る。

「お母さん!お母さーん!!」

 床を踏み鳴らして階下にいる母に助けを呼ぶ。しかしその声も届かず、とうとう宋江に捕まる。目をつぶしてしまおうと抵抗するがそれも空しく、哀れ閻惜姣、宋江の手にかかって殺されてしまう。

 宋江は夢中で横たわる屍の懐を探る。手紙!手紙を見つけた!

「これだ!これだ!これだ!」

 これを取り戻したいばかりに…それを自分の懐にしまおうとしたが、また何かあっては困る、宋江は燭台に手紙をかざして燃やしてしまう。次に探ると銀子、これは自分の懐に。そして離縁状を忌々しげに破り棄てる。

「よし!これでいいんだ。よし!」

と自分に言い聞かせる宋江

 懐剣を仕舞わねば…それを靴に忍ばせておいた元の場所に仕舞おうとするが、その手もおぼつかない。

 片足で立ちながら、もう一方の足を掲げて懐剣を仕舞おうと手をブルブル震わせる動作は見事で自分のやったことにまだ興奮が冷めずに動揺しているありさまが伝わってくる。客席から「好!」と声がかかるところ。

 フラフラしながら階段を下りる。当然のことながら躓いて転がり落ちる。フラフラ歩きから「吊毛」といって一回転する技につながる、ここはまた客席から「好!」が飛ぶところ。

 「逃げなければいかんが、男は男らしく潔くしないといかん」

 閻婆を呼んで

「お前の娘は気立てが悪いぞ」

と冗談とつかぬ事を言って二階に連れて行く。

 娘の死体を見て騒ぎ立てる閻婆に懐剣をちらつかせて脅す一方、先ほどの銀子を渡して葬式代に当てるように言う。律儀で何かと憎めない人物である。

 しかも

「あまりのことで混乱して葬儀屋へ行く道が分かりません」

という閻婆の言うことを素直に聞いて、

「仕方ない。私が連れて行ってやる」

といって一緒に外へ出たところを、閻婆にすかさず

宋江の人殺しー!!」

と叫ばれてあわてて逃げる、というところで幕切れ。

 

 

データ

 別名《烏龍院》。

 昔は閻惜姣を徹底的に悪女に描き、義憤に溢れる宋江が悪を制するという勧善懲悪に演じられたこともあった。本気でいがみ合うかと思えば、そうでもないという複雑な男女の情が描かれている。

 

 

鑑賞

 宋江が追い詰めれてとうとうキレるところから

 当時66歳の周信芳が宋江、当時34歳の趙暁嵐が閻惜姣。当時33歳の王正屏が劉唐を演じています。

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