名作・新編歴史京劇《曹操與楊修》の物語について及ばずながら補足の解説です。
物語のあらましはこちら
1996年[典蔵]京劇《曹操與楊修》
楊修を演じる言興朋
データ
1988年初演 上海京劇院
原案 古典小説《三国演義》第七十二回 諸葛亮智取漢中、曹阿瞞兵退斜谷。
脚本 陳亜先
演出 馬科
唱腔設計 高一鳴
2018年3D戯曲映画化 京都国際映画祭モスト・リスペクト賞(尚長栄・言興朋)
2019年中国電影金鶏奨最佳戯曲片
オリジナルキャストの主演ふたりについて
登場人物とキーワード
曹操
京劇の三国志において曹操のメイク「臉譜」は白色がメインで黒色の細い切れ長の目。奸智に長けた典型的な”悪役”です。
三国時代の幕開けとなった有名な「赤壁の戦い」の場面のほかにも悪役・曹操が描かれている芝居があります。
京劇《捉放曹》は「老生」が演じる陳宮が、曹操の冷酷無比で利己的な面を目の当たりにして袂を分かつ物語です。
ちなみに陳宮は曹操と対立している武将・呂布に従います。「小生」が呂布を演じる京劇《白門楼》は、呂布と共に捕らえられた陳宮は曹操に斬られてしまいます。
劇中で曹操が楊修の義兄弟・孔聞岱を殺したのは夢と現実の区別がつかない病による事故だったと楊修に対して理由をつけていますが、実際、曹操は頭痛持ちだったと言われます。
一説には脳腫瘍で幻覚が見えていたとも。ひどい頭痛に悩まされ、名医の華陀に診察を受けています。
夢遊病のせいだと曹操が楊修へ放った言葉は、楊修が引き金をひく形でブーメランとなって曹操に返り、愛妻の死という更なる悲劇を生んでしまいます。ここは前半のクライマックスです。
孔融
劇中で疑心暗鬼に駆られた曹操に殺されてしまう孔聞岱の父。
孔子の子孫にあたり、実際に曹操と敵対したのち死に追いやられています。
「老生」がメインの京劇《撃鼓罵曹》では孔融が推挙した禰衡という人物も、曹操を激しく非難して追いやられています。
諸葛亮孔明
諸葛亮は言わずと知れた三国志で絶大な人気を誇る天才軍師、ですが劇中では登場しません。
曹操からの宣戦布告を受けて手紙を送ってきます。そこに書かれているのは一片の詩。
表向きは風情をうたっているものなのですが、裏に本当のメッセージが隠されています。この謎解きが曹操と楊修に更なる悲劇を生みます。
詩が読み上げらた途端にその意味を解して腹立たしげに独り言ちをする楊修。
意味が分からずきょとんとしている周囲に、天才とうたわれる諸葛亮に引けを取らない才能を楊修が持っているさまをおのずと知らしめている場面です。
それに対して三十里歩き通しで考え続けて本当の意味を解き明かした曹操。
曹操は決して劣っているわけではありません。ただただ諸葛亮と楊修のレベルが他とは比べられないほど高いということ。
意味を解き明かすことができず、約束通り楊修の馬の手綱を牽くと言う曹操は引っ込みがつかない状態。それに対して楊修は恐れ多いと感じるどころか挑むように敢えて馬から降りずにいます。
ただならぬ相手だと納得してほしい、侵攻を止めたいという思いが楊修はありますが、付き従う諸将にしてみたら上官を敬わない大胆不敵な態度にしか映りません。
初期の脚本には「馬が草を食(は)むものなのに草が馬を食んでいる」と揶揄する詞があります。
ちなみに『世説新語』によると孝女と名高い曹娥(そうが)の碑に書かれた八文字の意味を即座に理解した楊修、曹操は三十里歩いて読み解いたという逸話があります。
孔明の活躍を描く芝居
鶏肋
「鶏肋」(けいろく)とはニワトリの肋骨(あばらぼね)のこと。食べるほどの肉もないが捨てるには惜しいたとえです。
『後漢書』の「楊修伝」にその逸話が記されています。
夫(そ)れ鶏肋(けいろく)は之(こ)れを食らうも則ち得る所無し。之(こ)れを弃(す)つれば則ち惜しむべきが如し。
寒さが厳しくなってくる時期に奥地へ進軍することに正直なところ気乗りしない諸将や兵士たち。
今こそ赤壁の大敗の屈辱を晴らそうと意気込む曹操は温度差を知ってショックを受けます。
楊修の処刑に臨む場面に到っては揚修の功績を訴えてこぞって諸将らが命乞いをしてくることが追い打ちをかけます。