2024/08/10更新
上海京劇院の代表作のひとつ新編歴史京劇《曹操與楊修》Cao Cao yu Yang Xiu について。
ふたりの名優についてご紹介します。
物語の内容はこちら
さらに解説
初演は1988年。
上海京劇院によって演じられた新編歴史京劇は大きな反響を呼びました。
早々に映像化されていましたが2018年には3D映像で戯曲映画化。
感慨深いのはなんと言っても、時を経てもなお変わらぬふたりの名優が揃って演じてることです。
映画化を報じるニュース映像
オリジナルキャストの尚長栄と言興朋のふたりは京劇の名家の俳優。
曹操を演じる尚長栄は1940年生まれ。「四大名旦」のひとりで尚派の創始者・尚小雲を父に持ち、幼いころから父の薫陶を受けて十歳から花臉を学びました。
こちらもどうぞ
1990年 資料映像 紀念微班進京200周年戯曲晩会
京劇《得勝回朝》聞仲を演じる尚長栄 当時50歳
楊修を演じた言興朋は1953年生まれ。
祖父が「四大須生」のひとりで言派の創始者・言菊朋、父は言少朋、父の妹が梅派(梅蘭芳)青衣の言慧珠。
言派を受け継ぐほか余派(余叔岩)、馬派(馬連良)にも通じています。
威厳がありつつ人情味のある演技で、傲慢さもありながら弱い部分も見事に演じる尚長栄の曹操には惹きつけられます。
言興朋は老生のすっとした出で立ちで都会的な佇まい。言派の柔らかで涼やかな唱が頭脳明晰な楊修の姿を体現しています。
間違いを痛感しながら面子を保ち続ける曹操と、優秀で鋭いからこそ粗を見落とせない楊修。
お互い求めあっていたと、曹操の野望と楊修の理想を叶えられると喜び合っていたのに次々と掛け違いが起こっていく悲劇。
どちらかが一歩でもひいたなら悲劇は起こらなかったのではないか…。
心の機微を描く優れた脚本と演出による、梨園のサラブレッドふたりの競演は不朽の名作となりました。
制作にいたる過程やリハーサルの苦労など、陳雲発の著書『吟嘯菊壇 大写尚長栄』(復旦大学出版社 2001年1月初版)にも三章に渡って当時のことが書かれています。
初演は1988年12月16日の天津市人民劇場。各地から選りすぐりの芝居が演じられる「全国京劇新劇目匯演」で披露されました。
尚長栄にとって天津は小さいころから舞台に立っていた親しみある地域ですが、上海とは文化的背景から好みや反応も異なるであろう天津の観客に受けるのか不安があったそうです。
そもそも伝統劇で見慣れている冷酷で狡猾な「白臉」(悪役)の曹操ではなく、詩人であり政治家であり策略家であり間違いを犯して苦悩する悲劇の英雄という新しい曹操像は受け入れられるのか、と。
尚長栄の曹操と言興朋の楊修、好敵手同士のふたりの芝居は視線から一挙手一投足まで息がぴったりとあった演技に惹きつけられた観客から喝采を受けて、アンコールは20分を越えたそうです。
上海の『解放日報』『文匯報』、天津の『今晩報』、『人民日報』などのメディアは絶賛と共に大きく取り上げました。
言興朋は後にアメリカに活躍の場を移すなどしますが、三十年の時を経てもなお色褪せない初演のふたりで戯曲映画が作られたのは実に感慨深いです。
2000年の再演の様子はこちら
1988年 資料映像 京劇《上天台》言興朋(当時35歳)
越劇の小生を演じていたこともある言興朋。この確かな歌声をどうぞ。
1988年の資料映像です。
こちらは言菊朋の娘で梅派(梅蘭芳)の青衣・言慧珠が父の代表作の一節をうたっています。
京劇《譲徐州》言慧珠 反串京劇老生
言慧珠はモダンガールの風采ですね。梅蘭芳と共演する崑曲《牡丹亭》の映像が残っています。いずれまた取り上げたいです。