中国京劇雑記帳

京劇 すごく面白い

京劇演目紹介《趙氏孤児》

2023/03/29更新

 

愛しい我が子を引き換えに…

長い長い涙の仇討ち物語

 

 

あらすじ

 春秋時代

 晋国の霊公は暗君で、暴挙を諫める丞相の趙盾は疎まれる。霊公に取り入る屠岸賈により趙盾は濡れ衣を着せられて一族共々殺される。

 趙家に嫁いでいた霊公の妹・庄姫公主は宮殿に戻されるが、すでに身ごもっていた子を生み落とす。食客の程嬰はその子を隠して代わりに自分の子を差し出す。我が子は屠岸賈によって殺されて、程嬰は趙家の孤児・趙武を自分の子として育てる。

 十五年後、遠征から戻ってきた将軍・魏絳の協力のもと、程嬰に全てを明かされた趙武は一族の仇討ちを果たす。

 

 

解説

第一場 趙盾諫君

 ときは春秋時代。晋国の霊公は酒色に溺れ、すさんだ日々を送って政治をおろそかにしていた。

 何か面白いことはないかという霊公に臣下の屠岸賈はとんでもない提案をする。憂さ晴らし(?!)に矢を番えて、道行く人々を獣の如く射殺して競おうというもの。

 止めに入った大将軍の魏絳と老臣の公孫杵臼。しかしバカ殿霊公、そんなことは聞く耳をもたない。疎ましがられた魏絳は辺境へ遠征を命じられ、年老いた公孫杵臼は退職を余儀なくされる。

 それでも諫言を止めない忠臣がいた。長年仕えてきた丞相の趙盾である。

 

 屠岸賈は花臉でも動きとセリフが主である架子花臉。

 晋の霊公は文丑。龍の刺繍がはいった大きいチョッキ「大坎肩」を身につけている。頭には「太平冠」。

 魏絳は唱がメインの銅錘花臉。それを披露するのは後半で。登場時の雄叫びは聞きほれる。

 「白蟒」を着ている趙盾。着用している衣類の色は後ほど重要になってきます。

 唸りながら動かす屠岸賈の翎子の形は見物。趙盾と屠岸賈の言い争いはうたの掛け合いとなる。

 いくら正論を並べ立てたところで結局、君主がぼんくら、趙盾はかえって煙たがられる。屠岸賈は趙盾暗殺を企み、密かに刺客を放つのであった。

 

 

第二場 刺客触槐

 趙盾を快く思わない屠岸賈は密かに家臣の鉏麑を刺客に送る。

 夜、庭に佇んでひたすら国を憂えている趙盾。この切々とした趙盾の唱はききどころ。

 刺客の鉏麑は刀を持って襲い掛かろうとするが、趙盾の姿に感じ入りどうしても手を下せない。

 自ら進んで正体を明かして、趙盾の気をそらした隙に庭木に頭を打ち付けて死んでしまう。

 

 

第三場 閙朝捕犬

 趙盾は鉏麑の死により屠岸賈に対して怒りを増し霊公に訴える。

 屠岸賈はしらをきって趙盾が自分の家臣を殺したのだと訴え返す。

 「奸臣はお前だ!」「いいやお前だ!」とまたまた言い合いになる。

 そこでまたろくでもない提案が。外国から献上された神獒という犬を連れくる。神通力を宿しているというこの犬に奸臣を見分けさせようというのだ。

「陛下、そのようなことをなさらずとも明々白々でございます」

「いや、やろうぞ」

 犬に判断を委ねるとは…驚いて諫めた趙盾は知らなかった。霊公もグルだということを。

 その犬は趙盾のみが着ることを許されている白色の衣服に餌をつけて飛びつくように訓練されていたのだった。

 飢えている犬は放たれた途端、餌にありつこうと趙盾に襲い掛かる。

 傍らに控えていた大尉の提弥明が犬を切り殺して趙盾を救う。

 しかしこのことを以て趙盾は奸臣として罰せられることとなり、財産は没収され一族は皆殺しにされる。

 

 

第四場 程嬰報信

 趙盾の息子の趙朔は先王の計らいで霊公の妹にあたる庄姫公主と結婚していたが、罪が及び勅命によって殺される。そして庄姫公主は王宮へ連れ戻されるのであった。

 

 ここでやっと程嬰が登場。

 衣装は「藍衫」。名は広く知れ渡っている有能の士であるが、官位を得ていない者という意味合いを持つ。

 舞台で久しく見かけなくなっていたのを馬連良が改良して舞台に登場させたもの。黒い太い縁取りで重々しさを出している。

 程嬰から話を聞いた趙朔は冠を取る。冠を取ったポニーテールの髪型は罪人を意味する。

 そして庄姫公主が侍女の卜鳳とともに登場。

 庄姫公主は霊公の妹で趙盾の息子・趙朔の妻である。頭には鳳冠、襟には雲肩、「宮装」という家で寛ぐときの出で立ち。

 ほどなくして勅命がきて趙朔は連れて行かれる。

 

 

第五場 進宮盗孤

 宮殿に戻された庄姫公主は病気を装って、すでに身籠っていた子を生み落とす。趙家の食客・程嬰は医者を装って赤子を薬箱に入れて宮殿から運び出そうとする。

 

 庄姫公主付きの召使い・卜鳳はそわそわしていた。身体が優れないといって引きこもっている庄姫公主は実は出産で、見事な男の子を産んだ。それを察しているであろう程嬰が医者に扮して来るのを待っているのだった。

 程嬰はやって来て薬箱の中に赤子を入れる。赤子との別れを惜しんでいつまでも程嬰の姿を見届ける庄姫公主であった。

 

 

第六場 韓厥盤門

 門官の韓厥に怪しまれることなく無事やり過ごしたかに見えたが、突然子供が泣き出し気づかれてしまう。程嬰は趙家の惨状を訴え出世を望むなら訴えるがいいと言い放つ。硬骨の士である韓厥は程嬰を逃がし自刎してしまう。

 

 韓厥は侠気ある人物。程嬰とのやりとりは実に緊張感溢れ、ハラハラする。

 飄々と何事も無いようにただ通り過ぎようとする程嬰を韓厥は引き止める。

 

韓厥  まて!

[程嬰、立ち止まって振り返る]

何者?!

程嬰  医者です。

韓厥  なにしに宮殿へ?

程嬰  公主の診察です。

韓厥  公主はどういう病だ?

程嬰  内臓がよくないようです。

韓厥  よくなったのか?

程嬰  薬を処方しましたらよくなりました。

韓厥  薬はなんだ?

程嬰  甘草薄荷です。

韓厥  何か隠し持っているな?

程嬰  何も隠しておりませんが。

韓厥  赤子を隠しているのか?

程嬰  は?そんな薬材は今まで見たことも聞いたこともございませんが。

韓厥  いけ!

程嬰  私は…。

韓厥  もどれ!どうして慌てるのだ?

程嬰  私はこの通り田舎者です。将軍の神将のごとき威厳が恐ろしいのです。

韓厥  何か隠しているな!

程嬰  何も隠しておりません。

韓厥  薬箱を置いて私に見せろ!

[程嬰は一瞬思い巡らすが、跪いて静かに薬箱を置く]

程嬰  どうぞ!ご覧ください!

[蓋を開ける程嬰。韓厥は手を触れずに箱の中を見る]

韓厥  いけ!

[程嬰が薬箱を閉めて立ち上がろうとするや否や突然オギャ―オギャ―と赤ん坊の泣き声!]

 

 ここは観客も思わず「あ~あ」と声をあげて客席がザワザワしてしまうところ。

 「おい!薬箱の中にあるのは甘草薄荷とおまえは言ったのに、中にどうして人参(「人声」=「ひとのこえ」と同音)があるのだ?!」

 刀を半ば抜いて逼る韓厥。とうとうばれてしまった程嬰は死に追いやられた趙家三百人の無念を訴えて、あの奸臣に突き出して富貴を求めるがいい、と言い放つ。その嘆きを聞いて義侠心厚い韓厥は見逃すことにする。さらに、くれぐれも他に漏らさないで欲しいという程嬰の言葉を聞き、自らの首に刃を立てて死んでしまう。

 韓厥の死体を見て屠岸賈は何かあったに違いないと思い、宮殿に乗り込んで赤子を探す。庄姫公主に聞いても埒があかないので庄姫公主付きの召使いである卜鳳を連行する。

 

 

第七場 定計救孤

 程嬰はすでに隠居している義兄弟の契りを交わした公孫杵臼に相談する。

 逃げおおせないであろうことを感じた程嬰は趙家の赤子の命を守るため、そして国中の赤子の命を守るため、自分と自分の子ども共々命を犠牲にする覚悟で公孫杵臼に自分のことを密告するようにと頼む。

 しかし、公孫杵臼は自分の方が老い先短いのだからと言って自分が赤子を隠していると訴えるように程嬰に言う。

 

 

第八場 程嬰献孤

 赤子は女の子で死産だったと言い張る庄姫公主付きの侍女・卜鳳。その言葉を信じられない屠岸賈は、「三日以内に趙氏の赤子を差し出さねば国中の赤子を皆殺しにする」というふれをだす。

 卜鳳は酷刑に耐えて頑なに口を閉ざすが、程嬰が現れて既に公職を離れた公孫杵臼が趙氏の赤子を匿っていると屠岸賈に告げる。

 裏切られたと思った卜鳳は程嬰に掴みかかるが、止めに入った屠岸賈に殺される。捕えられた公孫杵臼は殺されて、匿っていた赤子も屠岸賈に踏み殺される。

 しかし、殺されたその赤子は実は程嬰の子どもであった。趙氏の赤子を守るため、義兄弟の契りを交わした公孫杵臼と示し合わせて程嬰は偽ったのであった。

 この一件で程嬰は屠岸賈に気に入られる。そして趙氏の孤児たる趙武は程嬰の子として育てられることとなり、屠岸賈は趙武の義父となる。

 

前半のクライマックス。

 場所は法廷。

 卜鳳は屠岸賈に何度聞かれても生まれた子は女の子ですぐに死んでしまい、亡骸は河に流したと言い張る。

「大の大人がとっくに死んだ赤子相手に、何をそんなに血眼になっているのです!おほほほほほ」

 

 大胆不敵に笑う卜鳳の言葉を信じない屠岸賈は拷問にかける。板の間に指を挟む責め具で、卜鳳は気を失う。しかし、気丈な卜鳳はそれでも態度を崩さず言葉を覆すこともない。

 そこへ、程嬰がふらりとやって来た…。

 

屠岸賈  名はなんと言う?

程嬰   程嬰でございます。

[卜鳳、声を聞いて驚いてそちらを見る]

屠岸賈  何事か?

程嬰   赤子を差し出しに参りました。

[愕然とする卜鳳]

卜鳳   ああ!程嬰よ!お、お前は…!

[卜鳳は程嬰に襲い掛かって腕に噛み付く。しかし屠岸賈に刀で一突きにされる]

程嬰   ああ!

 

 思わず声をあげて卜鳳に手を差し伸べようとする程嬰、

「程嬰!」

屠岸賈の声にはっとする。

「なぜ顔色を変える?!」

 我に返り、思わず差し伸べようとした手を握り締め、屠岸賈をじっとみつめたまま搾り出すようにつぶやく。

「人が…殺されるのを目の当たりにして恐ろしいのです…」

 屠岸賈に怪しまれてはいけない一心からなんとか平静を装う。見ているほうもヒヤヒヤする瞬間である。

 

屠岸賈  恐れるな。死体を下げよ!

[倒れている卜鳳、校尉たちに連れられて舞台を下がる]

     そなたに聞く、赤子はどこだ?

程嬰   今、首陰山の公孫杵臼の家です。

屠岸賈  公孫杵臼が赤子を隠していたことどうやって知ったのだ?

程嬰   わたくし、公孫杵臼とは義兄弟の契りを交わした間柄でして…ある日彼の家を訪ねたところ、突然に赤子を見かけたのでございます。公孫の年は七十を越すのに、一月足らずの赤子がどこから来たのかと思いました。問い詰めましたところ、はっきりと答えません。それで彼が赤子を隠していると知ったのでございます。赤子を差し出すように言い聞かせましたが、かえってわたくしを罵ってどうしても聞こうとしません。それでこうして参った次第です。

屠岸賈  裴豹、聞け!首陰山に行き公孫杵臼を捕えて引き連れて参れ。程嬰、お前はその公孫杵臼に仇でもあるのか?

程嬰   いいえ。

屠岸賈  恨みは?

程嬰   ございません!

屠岸賈  ではおまえとやつに仇も恨みもないのであればあきらかにこれは偽りだな!こやつをひっ捕えよ!

程嬰   お待ちください!申し上げたいことがございます。

屠岸賈  話せ。

程嬰   わたくしと公孫杵臼とは仇も恨みもございません。ただあなたさまの御ふれによると三日以内に赤子を差し出した者には千金をつかわし、知りながら申し出なかった者には罪を重く課すとのこと。わたくしにまで類が及ぶことを恐れて、特にお知らせに参ったのでございます。

屠岸賈  うむ!程嬰よ。

程嬰   はい。

屠岸賈  公孫杵臼がここに来たら、お前は敢えて面と向かって詰問するか?

程嬰   はい、願ってもないことです。

屠岸賈  立て!

[立ち上がる程嬰。裴豹、校尉たちが公孫杵臼を連れてくる]

公孫杵臼 参りました。

屠岸賈  おい!大胆なやつめ!赤子を隠しているとは!

公孫杵臼 私が赤子を隠しているのを誰が見たと言うのです?

屠岸賈  頭を上げてよく見ろ。

公孫杵臼 おお!程嬰は私に前から恨みを持っています。これは濡れ衣です!

屠岸賈  何だと?

公孫杵臼 濡れ衣でございます。

屠岸賈  黙れ!

     〈唱〉赤子を隠して差し出さないとは。法にのっとってお前は斬首だ。

公孫杵臼 〈唱〉程嬰は私に恨みを持っております。どこの赤子を差し出せと言うのですか。

屠岸賈  〈唱〉校尉、やつを棒で打て。

公孫杵臼 〈唱〉打ち殺されても私は知らないことは知らないのです。

屠岸賈  程嬰を呼び、鞭を授け、打ち据えさせる。白状するか見届ける。

 

 馬鞭が程嬰に手渡される。趙家の、国中の赤子を救うためにこの芝居はなんとしても演じきらねばならない…程嬰は心を鬼にして鞭を振るう。

 

程嬰   〈唱〉白虎大堂で命令を受ける。

屠岸賈  しっかり打つのだぞ!

 すべてはただ赤子を救うため…つらい心中をうたいつつ、最後には公孫杵臼に面と向かってうたう。

 

程嬰   〈唱〉いいかげんなことを言って罪のない私を巻き込まないでくれ!

公孫杵臼 この裏切り者!

     〈唱〉今死んでも悔やまない、あの世に行ったら覚えておれ!

程嬰   〈唱〉公孫は認めません。首陰山を探してみてください。

屠岸賈  裴豹!〈唱〉校尉をつれて探しにいけ。

裴豹   わかりました。

屠岸賈  お前の命も残り僅かだな。

裴豹   いました!

[赤子を抱いて連れてくる]

屠岸賈  渡せ!〈唱〉叩きつけてやる!

 

 屠岸賈、赤子を上から振り落として踏みつける。顔を背けて水袖を顔の前で蓋う程嬰。その姿は実に哀れで痛々しい。公孫杵臼は止めに入ろうとしたが、剣で一突きにされて殺される。

「自ら火に飛びこんで身を焼く蛾め!」

とうたう屠岸賈はすべてが片付いたと一安心。

「程嬰!」

屠岸賈に呼ばれてもただ呆然として身動きしない程嬰。

「程嬰!」

動かない。

「程嬰よ!」

「あ、はい!」

やっと気が付いて答える程嬰。

 

屠岸賈  ご苦労であった。褒美を遣わす。

程嬰   わたくし…結構でございます。

屠岸賈  なぜだ?

程嬰   わたくしが赤子を差し出しましたのも人に貶められるのを恐れてでございます。わたくしには名を程武という子がおります。あなたさまがわれわれ親子に目をかけていただければと願っております。

屠岸賈  よし!わしには子がいない。お前の子の義理の父となろう。お前たち夫婦はわしのところで落ち着くがよい。

程嬰   …ありがとうございます。

屠岸賈  程嬰、わしと来い!はははははは…

 

 屠岸賈が去る。程嬰は後をついていくがふと振り返る。そしてひとり、床に転がる我が子の無残な死体を震える手で触れようとするが思いとどまり、今にも泣き出さんばかりの顔で引っ込めたその手を握り締め、沸き起こる怒りと共にその拳を空高く突き上げる。

 しかし、その拳を向けるべき相手には立ち向かうことができない、その拳をゆっくりと下ろす。今は耐えるしかないのだ、今は…程嬰は静かに肩を落として去っていく。

 このシーンは演じる役者の素晴らしさにもらい泣きしそうになります。

 

そして十五年の月日が流れる…。

 

第九場 秦凱回朝

 遠征に行ってから十五年、魏絳が凱旋する。髯が真っ白になっている。

 かつて魏絳は奸臣をいつか成敗してくると誓っていた。その気持ちは今も変わっていない。趙家の悲劇は話に聞いている。魏絳は颯爽と宮廷に参内する。

 

 

第十場 進宮打嬰 

 遠征から十五年ぶりに戻ってきた将軍・魏絳は庄姫公主に謁見し、趙家の惨事を聞かされる。怒りを覚えた魏絳は程嬰を呼び出して鞭で打つ。程嬰は忠実な魏絳の態度に信用を置き、真実を告げる。魏絳は激しく後悔し程嬰に謝罪し、敵討ちに協力することを誓う。

 魏絳が程嬰を怒って鞭で打つシーンはみどころ。

 まず庄姫公主が登場。今までの年月を思ってうたうここはききどころ。

 

 庄姫公主から話を聞き、怒り心頭する魏絳は程嬰を家に呼び出す。程嬰は髯がすっかり白くなっている。程嬰は魏絳が忠実な臣下であることは充分知っている。こうして呼ばれたのはどういう真意か、それを知るために程嬰は素直に出向いてきた。

 息子の魏忠に魏絳は席をしつらえさせていきなり

「よかったですなあ」

と程嬰に切り出す。趙家の赤子を差し出して友人を売って今の栄誉を得ている生活はさぞ楽しかろうという嫌味をぶつける。

 程嬰はそそくさとその場を去ろうとすると穏やかだった魏絳の態度が急変。馬鞭を振りかざし、罵倒しながら程嬰をぶちまくる。ここの鬼気迫る演技もみどころ。

 ぐったりする程嬰。しかし、魏絳には思いもよらない反応がかえってきた。程嬰はいきなり笑い出したのである。

 

打嬰

程嬰   〈唱〉霧が晴れて青空がみえたようだ。

     十五年眉を顰めて悩んできた胸いっぱいの心配事を

     誰に言えばよかったのか。

     将軍!〈唱〉将軍の鞭打ちは実に見事!

[打ちのめされてぐったりしながらも親指を立ててそれを称える程嬰]

魏絳   なに?!

程嬰   〈唱〉あなたは奸臣ではなくまさに忠義のお方だ!

     わたくし、お話があります。

魏絳   話せ!

程嬰   将軍、子どもは死んではおりません!

魏絳   今どこにいる?!

程嬰   わたくしの家でございます。

魏絳   フン!お前の子がどうして趙家の子どもなのだ?

程嬰   将軍!あのときわたくしは公孫杵臼と一計を案じ彼は自身の命を、私は実の子の命を犠牲にして赤子の命を守ったのです。首陰山で探し出されて踏み殺されたのはわたくしの子で名は金哥、趙家の子は既に成長して名を程武と改めております!

魏絳   それは本当か?!

程嬰   将軍がこうなさらなかったら、わたくしは本当のことを申しましたでしょうか。

魏絳   おお…

     〈唱〉この魏絳 話を聞いてまるで夢から覚めたよう

     もとよりひとには告げられぬ事情があったのだ

     公孫兄は赤子を救うために命を失い

     程嬰は赤子を救うため我が子を犠牲に

     このような義人は当然敬われるべきなのに

     国の隅々に汚名となって残っている

     今 私は鞭で打ち据えてしまった

     本当に年老いて耄碌した私は真実を知らずにいたのだ

 

 自分の軽率さと非礼を詫びる魏絳。

 ここの[漢調原板]は前奏が特徴的で耳に残るこのうたのくだりは有名で、演唱会(コンサート)でもよくうたわれる。票友(アマチュア)に言わせれば花臉必須のくだりで観客も思わず一緒に口ずさむところ。

 魏絳と魏忠に支えられて立ち上がる程嬰。椅子に座らせてもらうにもぶたれたばかりの身体が痛い。痛がりながらゆっくり座って話を続ける。

 すべての事情を知った魏絳から敵討ちの協力をすると申し出を受けて、程嬰は趙武に伝える決心をする。

 魏絳と魏忠に支えられて椅子から立ち上がろうとする程嬰。

「あ痛たたたた…」

と身体をさすりながら去っていく。その姿に客席からも労いを込めた苦笑が聞こえてくる。

 

 

第十一場 陰陵偶母

 趙武登場。すっかり大きくなっている。冠には孔雀の羽を挿し、その姿は凛々しい。屠岸賈と共に狩りに出ている。屠岸賈の臉譜は中央の朱に少し灰色が入り、髯も灰色に変わっている。十五年の月日が流れたのだ。

 趙武は射落とした雁を探しに迷い込み、思いがけず庄姫公主に出会う。もちろんふたりとも自分たちが親子であることは知らない。だがお互い何かを感じる。

 庄姫公主は自分の子が生きていたらこのように成長しているであろうと趙武を感慨深く見つめる。しかし、趙武の義父が憎き敵の屠岸賈、実父が程嬰だと聞いて、真実を知らない庄姫公主は怒って趙武を追い出す。

 

 

第十二場 観画説破

 魏絳という後ろ盾を得た程嬰。趙武から庄姫公主に会ったいきさつを聞いて、ついに真実を語るその時が来たと悟る。

 まずはいままでのことを絵本にして見せて、物語として趙武に聞かせる。素直に反応する趙武を見て、程嬰はとうとう真実を打ち明けるのであった。

 程嬰の今まで耐えてきた心中を吐露するうたはききどころ。

 

[程嬰、本を持って登場。その本には『八義図』という題がある]

程嬰   〈唱〉この程嬰 筆を手にして涙を忍ばず

     さまざまなことが想い起こされる

     十五年屈辱を受け尽くし 奸臣には作り笑い

     国中の人々の上から下まで皆が言う

     この程嬰が富貴を貪らんと友を売って赤子を殺したと

     まことに不義な輩だと

     私の子の命を 実の子の命を犠牲にしたことを誰が知るというのだ

     ああ私の子よ!

     趙家の末裔を育て この子のために私は心血を注いできた

     すべてをこの墨汁と絵の具に託し 描くは雪辱の絵図

     これはその証 証として!

趙武   開けてください。

程嬰   〈唱〉戸を叩く音に驚いて私は気もそぞろ

 

 程嬰は急いで本をしまい、戸を開けて趙武を招き入れる。

 趙武は狩りに行った先で庄姫公主と会ったことを話す。怒って追い出されたことを聞いて程嬰はため息をつく。その理由を聞かれてもちろん知っていると答えた程嬰は趙武に先ほど描いていた本を見せる。

 

趙武   これは物語ですか?

程嬰   そうだよ。

趙武   赤い服の人と白い服の人の仲が悪いみたいですね。赤い服の人が白い服の人を殺したのですか?

程嬰   ああ、そうだ。

趙武   なぜこんなに多くの人が殺されたのですか?

程嬰   よくお聞き!赤い服は酒色で君主を惑わし、民を面白半分に射殺す悪い奴だ。この白い服は偉大な忠義の臣下で、君主に諫言してこの赤い服を非難した。しかし赤い服はそれを恨んで宮殿で白い服を犬に噛ませた。それにかこつけて君主を欺いた罪で一族を皆殺しにしたのだ。

趙武   そのあとどうなったのですか?

程嬰   この緑の服は白い服の息子で殺されてしまった。君主の妹だった緑の服の妻は宮殿に戻されてから身ごもっていた子を産んだのだ…。

趙武   その子は男の子?女の子ですか?

程嬰   男の子だよ。

趙武   名前は?

程嬰   ああ、名前…名前は…「孤児」!

趙武   その男の子は大きくなって家の仇を討つんですね!

程嬰   難しい、難しい、実に難しいのだ!この赤い服は宮殿に入り込んでその子を探しにきたのだ。

趙武   ええ?!ではその子は殺されたのですか?

程嬰   その子は…

趙武   死んだ!

程嬰   その子は…死んではいない。

趙武   誰かが助けたのですか?

程嬰   青い服が宮殿から連れ出したのだ。

趙武   よかった!ではその子が大きくなるのを待てば一家の仇を討てますね!

程嬰   いや難しい、難しい、難しいのだ!赤い服は国中に通達を出した。赤子を差し出したものには千金を与える、もし誰も差し出さないようであれば国中の赤子を殺す、と。青い服は自分の子を黄色い服に託し、黄色い服が孤児を隠していると告発した。赤い服は赤子を探し出して踏み殺し、それを止めに入った黄色い服も剣で一突きにしてしまった。

     〈唱〉実に嘆かわしき一族 奸臣に斬られ

     血の河が流れ 死体が山となった

     奸臣の行いは天が怒り人が怒る この恨み 今に到ること十五年!

趙武   なんて悪い奴だ!〈唱〉

     怒りで身体が震え出す

     これは本当に恨んでも恨みきれない雪辱

     父上、孤児はまだいるのですか?

程嬰   ああいるぞ!すでに大きくなって文武双方に通じておる。

趙武   文武両道なんですね。どうして仇をとらないのですか?

程嬰   その悪い奴の勢力が強いのだよ。

趙武   え!勢力が強いのですか?

程嬰   ああ、そうだよ。

趙武   でしたらわたしが代わって仇をとってやります!

程嬰   そなたが代わって仇をとってくれるのか?

趙武   父上もおっしゃっているように奸臣は誅されるべきです!

 

 我が意を得たり!程嬰はついに真実を明かす。

 

程嬰   よし!では本当のことを話そう!この白い服はお前の祖父・趙盾!この緑色の服はお前の父・趙朔!赤色の服は奸臣・屠岸賈!青色の服はこの私!庄姫公主はお前の生みの母!お前はさんざん危害を受けても死ぬことのなかった趙家に残された唯ひとりの子・趙武だ!

 

 青天の霹靂!これを聞いて趙武は頭に頂く羽を指でつまみ、それを大きく揺らしながら絶叫してぶっ倒れる。

 自分がその孤児であったことを知った趙武は、改めて敵討ちを堅く誓うのであった。

 泣きながら今にも刀を抜いて斬りかからんとして悔しがる趙武をなだめながら、程嬰は準備が整うまでしばし待つように言い聞かせる。

 

 

第十三場 報仇雪恨

 程嬰は清明節ということで宴席を設け、屠岸賈を招待する。

 すっかり信用している屠岸賈は連れてきた自分付きの兵を引き下げる。

 「父上、ご機嫌いかがですか?」

と挨拶する趙武。

 ご機嫌で笑い出す屠岸賈を横目に、趙武は今にも殺そうと腰の剣を少し抜いて光らせるが程嬰に暗に止められる。

 そこへ魏絳が訪れる。魏絳を見るなり帰ろうとする屠岸賈。引き止められて趙武のほうをちらりとみると自分がいるから大丈夫と言いたげに親指を突き出す趙武を見て屠岸賈はとどまる。

「私は十五年も朝廷を離れていました。趙家父子の姿が見えないようですが、何故ですかな?」

と話を振る魏絳。やはり居心地の悪い屠岸賈はその場を去ろうとするが

 「お待ちください。もう一人お客様がおいでです」

と引き止める程嬰。

 そこに現れたのは庄姫公主。

「この奸臣め!お前も最期のときがきた!」

と叫ぶと屠岸賈はすかさず趙武を呼んで魏絳を斬れと命じる。

 しかし、その剣先は屠岸賈に向かった。

「なぜこの父を刺すのだ?」

と問う屠岸賈に程嬰は叫ぶ。

「私が自分の子と入れ替えてこの子を救ったのだ!」

「われこそはお前にさんざん危害を加えられても死ぬことのなかった趙家の孤児、仇を討ち取った!」

 趙武に刺されて崩れ落ちる屠岸賈。

 その屍を二度三度と蹴りつける程嬰。

 なぜか滑稽で客席からは笑いが漏れるが、よくぞやったという瞬間である。待ってましたとばかりに「好!」の声が飛びまくる。

 趙武は庄姫公主に親子の礼をとり、勢ぞろいして尾声の喇叭とともに幕を閉じる。

 

 

データ

 「史記・趙世家」、「列国演義第五十七回」、「元雑劇・全名『趙氏孤児大報仇』紀君祥 作」、「南劇本・全名『趙氏孤児報冤記』作者不詳」、「明伝奇『八義記』徐元 作」、京劇《捜孤救孤》または《八義図》がルーツ。

 もとは「公孫杵臼」がメインだったが、譚鑫培が「程嬰」をメインにしてうたのふしまわしを加えた。譚派がもとの演目であるが、のちに余叔岩がさらに発展させ、余派の代表作となった。

 1960年、王雁が京劇と秦腔《八義図》(馬健翎 作)をもとに改編。地方劇でも川劇《陳英救姑》、漢劇、滇劇にある。

 

程嬰 老生

公孫杵臼 老生

魏絳 浄

庄姫公主 旦

屠岸賈 浄

霊公 文丑

趙盾 老生

趙朔 小生

韓厥 武生

卜鳳 旦

趙武 生

 

鑑賞

CCTV戯曲

 魏絳:裘盛戎(録音)裘少戎(配像)

 趙盾:譚富英(録音)高宝賢(配像)

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