酒におぼれて臣下を次々と断罪
恐れおののく愚かな皇帝の末路
《打金磚》 《上天台》 《漢宮驚魂》
あらすじ
後漢。
光武帝・劉秀は郭妃を寵愛していた。
郭妃の父・郭栄はそれを頼みに権勢を振るって横行し、建国の功臣である姚期の息子・姚剛と諍いになって殺されてしまう。
姚期の今までの功績を思う劉秀は、姚剛の斬首を免じて流刑にとどめる。
父の仇をとりたい郭妃は、劉秀に酒を勧めて泥酔させて讒言し、姚期を斬首するよう命令を下す。
功臣のひとり・馬武は怒って劉秀に赦免を迫るが間に合わず、刑はすでに執行されていた。
酩酊している劉秀は臣下たちにその責めを負って次々と粛清する。
馬武は再び宮殿に乗り込んで金の煉瓦を手に劉秀に打ちかかり、ついには煉瓦を自分の頭に打ちつけて死ぬ。
酔いから覚めた劉秀は郭妃に怒り殺してしまう。
そして宮殿の奥に引きこもり、死んだ功臣たちの鎮まることのない霊を恐れる余り発狂して死んでしまう。
劉秀 Liu Xiu(光武帝) 老生
郭妃 Guo fei(劉秀の寵姫) 旦
郭栄 Guo Rong(郭妃の父) 浄
姚期 Yao Qi(功臣のひとり) 浄
姚剛 Yao Gang(姚期の息子) 浄
馬武 Ma Wu(功臣のひとり) 浄
ポイント
文武両方兼ね備えた老生の芝居。
いろいろな流派で演じられて節回しやアレンジが異なるが、王九齢、譚鑫培の系統を継ぐ余派と言派が主流になっている。中でも余派(余叔岩)の系統を継ぐ李少春がよく知られている。
姚期にねぎらいの言葉をかける劉秀のうたはききどころ。
クライマックスの劉秀が亡霊におびえて半狂乱になる場面はみどころ。
老生の静のイメージで前半は唱で聴かせて、後半は武打に長けた激しい動きで盛り上がる。
ちなみに後漢の光武帝・劉秀は名君の誉れ高く、この話は史実と異なる。
同じ題材でも《姚期》は花臉がメインの芝居。史書には「銚期」とあり、「銚」と「姚」が同じ音。
解説
ときは後漢。
光武帝・劉秀の寵愛を受けている郭妃の父・郭栄が登場。召使が出迎える。
「帰ったぞ!まったく腹が立つ!」
「太師さま、どうなされたのですか?」
「今日、宮殿で功臣への褒賞の沙汰があった。姚家父子が南征して功績を上げたというので、陛下はあやつの息子・姚剛を威烈候に封じた。こんないまいましいことがあるか!」
「われわれの府の門前は禁地でございます。文官は輿、武官は馬の鞍から降りなければなりませぬ。姚剛めは馬に乗って街へ行くにはここを必ず通ります。そのときこそ太師さまの偉大さをあやつめに思い知らせてやりましょう」
「そうだな。よし。あの青瓢箪が来たら知らせよ」
姚期の息子・姚剛が登場。
手柄を立てて意気揚々なところを呼び止められる。
「おい!ここは太師さまの館の前だ。禁地につき文官は輿を、武官は馬から下りて向こうを通れ!」
「うるさい!どういうことだ?郭栄のジジイをつれて来い!」
「姚剛め!大胆不敵な!わしの敷地内は禁地。馬から下りよ!」
「お前は何者だ?!」
「わしを知らぬ者などおるか!わしの娘は西宮で陛下のおそば近くに仕えていることを皆知っておろう。ははは、わしは当代の国丈だ!ふん!このクソガキめ!おまえの親父はわしの足元にも及ばんわ!」
「なんだと?!うぬぬぬ!くそお!」
哀れ郭栄、キレた姚剛に一刀のもと殺されてしまう。
息子から郭栄を殺してしまったと聞いて愕然とする姚期。どちらに非があるにせよ、罪は罪。息子を縛って宮殿へ連れて行く。
宮殿。
皇帝・劉秀が颯爽と登場する最初のききどころ。
「陛下!」
「妃よ。どうしたのだ?」
「先ほど姚剛がわたくしの父を殺したのです。どうぞ陛下のお裁きを!」
「うむ。わかった。朕に任せてそなたは戻りなさい」
「陛下ありがとうございます!」
引き下がるときに郭妃は怒りを込めてひとりごち。
「姚剛め!お前の命もこれまで!」
「臣、姚期、皇帝陛下にお目にかかります!」
「皇兄、犯した罪をわかっているのか?」
「臣、罪は知れども、どのものが罪人にあたるかはわかりませぬ」
「そなたの息子・姚剛が郭太師を刃に掛けた、これは罪ではないのか?」
「その郭太師どのも大罪を犯しましてございます」
「郭太師の罪とは?」
「あのお方は自分の府の門前を禁地とし、文官は輿、武官は馬の鞍から降りると決めておられました。陛下はこのように認めた詔をお降しになられたことがございますか?」
「いいや」
「郭太師が無断で勝手に禁地と称したうえでのこと。いきなり斬首に処せられるのは無念であります」
「そのとおりだな」
「それで捕らえてまいりました」
「そこに縛られているのは?」
「息子の姚剛にございます」
「縛る必要はない。内侍、縄を解け」
「かしこまりました」
「皇帝陛下ありがとうございます!」
一旦下がり、息子と別れを惜しんだのち再び謁見に表れる姚期。高齢により、出仕し難く職を辞して帰郷したいと申し出る。
「辞職して帰郷するだと?朕がそれを許すことができると思うか?」
「陛下がわたくしを惜しまれますに、わたくしも陛下から離れがたく存じます。もしわたくしをまだ必要となされるのなら、ぜひお願いしたきことがございます」
「なにごとか?」
「どうか百日間、禁酒をお願いいたします」
姚期との馴れ初めから今までの功績を語り、引き止める劉秀。ここの唱は聴きどころ。
「開国の重臣をどうして手放せよう」
劉秀は姚期の要望を聞き入れて禁酒を約束するのであった。
我が父を刃に掛けた姚剛は斬首のはず!恨む郭妃は謀略を巡らせる。
「陛下、姚剛はどうなりましたか?」
「湖北宛子城に流すことにした」
「まあ、まことに仁厚きご判断でございますね。わたくし、陛下とお酒のお供をして共に喜びたく存じます」
「待て待て。朕は酒はやめたのだ」
「なぜですか?」
「朕は皇兄と約束したのだ。百日間禁酒すると」
「盤古より臣下に酒を戒められるなどとの道理がどこにありましょうか」
「ううむ…」
「今日はお飲みになって禁酒は明日からでよろしいではございませんか」
もともとお酒は大好き。そうだな。ま、いいか。今日で飲みおさめ、禁酒は明日から…人間の弱いところ。しかしこれは郭妃の計略、悲劇の始まりであった。
郭妃は劉秀のお酒を注いで一緒に飲む…が飲むふりで自分の杯に注がれたお酒はこっそり捨てつつ、一杯一杯また一杯。劉秀はすっかり酔っ払う。
そして郭妃は姚期をこの席に呼ぶことを提案して劉秀はそれを聞き入れる。
「皇兄、そなたに酒を遣わす。それで妃に詫びなさい」
「かしこまりました」
姚期は気が進まないが拒否することはできない。恭しく跪いて、太監が運んで来た杯を勺に乗せて受け取り、地に撒く。
郭妃は杯いっぱいを手に再び奏上する。
「陛下。今度はわたくし自ら開国の元勲たる姚期どのにお酒を捧げたいのですが…」
姚期は静かに答える。
「陛下、盤古より君主が臣下へ杯を捧げるなどと礼に反します。ご辞退させていただきます」
「そなたは開国の元勲です。かまわぬでしょう」
「うむ。そなたは開国の元勲、かまわぬ!」
酔っ払って朦朧としている劉秀は郭妃の言葉をオウムのように繰り返す。
辞退しようにもできず姚期は杯を受けることに…しかしこれぞ郭妃の罠。
郭妃は自ら手にしている杯を姚期の持つ勺の上に乗せようとする素振りをしながらわざと落とした。
「陛下!姚期どのはわたくしの杯を受け取らず、わたくしに恥をかかせましたわ!」
震え出す姚期。
「姚期!なんと無礼な!妃をたぶらかすとはいかなる罪かわかっているのか?!」
姚期を責め立てるが酔っ払ってフラフラの劉秀。
「陛下!娘娘はわたくしを陥れようとわざとなさったのです。どうかお聞きください」
「姚期を斬首に!」
郭妃の言葉に酔っ払っている劉秀もビックリ。
「いやならんぞ。待て待て妃よ、皇兄は斬ること適わぬ…それはいかん…」
「皆のもの!陛下はお休みです。後宮へお連れてして!」
「斬ってはならん、斬ってはならぬぞぉ…」
泥酔してむにゃむにゃとつぶやきながら郭妃の指図で奥に連れて行かれる劉秀。
すかさず郭妃は劉秀の代わりと称して上座に座す。
「姚期!臣下の身でありながら君主の妃をたぶらかすとは!兵士たち!陛下の詔により姚期を斬首せよ!」
呆然とする姚期。冠をはずし、罪人のしるしの白い布を掛けられる。
姚期はやるせない思いを胸に下がっていく。
姚期と同じく建国の功臣で軍師の役にあたる鄧禹は、姚期の処分を聞きつけて急いで参内する。
太監を通して上奏文の取り次ぎを求めるものの、酔いつぶれている劉秀をよそに郭妃につきかえされたとのこと。
ひるまず二つ目を差し出すが郭妃は燃やしてしまったとのこと。
祈る気持ちで三つ目を差し出すが、郭妃が宝剣をもって奏上する者があればその首とまみえると伝えられる。
進退窮まった鄧禹は、功臣のひとりで姚期を兄のように思っている馬武のもとへ馬を走らせる。
馬武が登場。
「鄧先生、どうなされたのだ?」
「馬武どの!陛下が姚期さまを斬首になさるというのです!」
「何!」
激怒する馬武。
「鄧先生、あなたは刑場へ行ってくれ!おれは宮殿へ行って奏上してくる!」
上奏文をしたためるなどゆっくりと構えてはいられない。ときは一刻を争う。馬武は片手に棍棒を持って宮殿に乗り込む。
「陛下はお酒に酔われて西宮においでです」
「うむ!」
太監に案内されて馬武は劉秀のもとへ乗り込む。
劉秀は眠り込んでいる。
「臣、馬武、陛下に拝謁いたします」
「妃よ、楽にしなさい」
むにゃむにゃと答える劉秀。馬武を郭妃と勘違いしている。馬武は太監からもう少し大きい声でとお願いされる。
「フン!デカイ声でだと!さっきやっただろうが!馬武、皇帝陛下にお目にかかる!」
うーん、とゆっくり目を覚ましてパチパチ。
「馬武よ、何をそんなに怒っているのだ?」
「お尋ね申す。姚兄者は一体どんな罪を犯したというのか?なぜ斬首なのだ?」
「それは…」
「それは?!」
「臣下の身でありながら妃を辱めたのだ」
「兄者はすでに髪は白く、そんな無礼を働くわけがない!おまえは性悪な妃の言葉を聴いて忠臣を殺そうというのか!」
「ああ斬る。赦さん」
まだ酒が抜けていない劉秀。ろれつもまわっていない口調で眠そうに答える。
「陛下、兄者は国家の柱石だ。功労者だ。一度くらい赦して斬らなくてもいいだろう!」
「ならん」
「くくう!!陛下!この馬武の顔を立ててどうか兄者を赦免してくれ!」
「ならん」
跪いて願い出る馬武に対して、寝言のように答える劉秀。
「くっそおお!」
怒りがどんどん込み上げてくる馬武。
「本当に斬るのか!?」
「本当に斬るのだ」
「絶対?」
「絶対」
劉秀はただ馬武言っていることを繰り返しているだけ?
「赦さんというなら…」
「赦さんというなら…」
「おまえのような馬鹿者を打ち殺してくれる!」
「うわわ!!」
棍棒を手に襲い掛かる。酔いも一気に醒めた劉秀、目を見開いて逃げまとう。
「わかったわかった!赦す!赦すぞ!!」
とにかく事は一刻を争う。馬武は手のひらに赦免の詔をしたためさせ、急いで刑場へと飛んでいく。
しかし、時すでに遅し…。刑は執行された後だった。
姚期の遺品が劉秀のもとへ運び込まれ、それを見てやっと事の重大さを知る劉秀。自分は何と言う取り返しのつかないことをやってしまったのか…遺品を見て号泣する。
「なぜ軍師が上奏に来なかったのだ!軍師を呼べ!」
軍師・鄧禹は三度にわたって奏上したにもかかわらず、郭妃の妨害があったとはいえ相手にしなかったのは劉秀である。
「朕のせいにするな!斬首!」
前例がないことから死刑を免れたものの、絶望した鄧禹は自ら宮殿の柱に頭を打ちつけてこときれる。
つぎつぎと臣下たちが劉秀に呼び出されて粛清されていく。
「昏君め!殺してやる!」
怒る馬武は宮殿に乗り込み、金のレンガを手にしながら劉秀を追い回す。劉秀は必死で逃げ回った挙句、馬武を宮殿から締め出す。
「兄者たちは苦しみを耐えて漢王室の天下を奪回されたのに、おまえのような馬鹿者が酒色に溺れて讒言に耳を傾け、開国の老臣たちをことごとく殺してしまった。おまえは心が痛まないのか!兄者たちはもういない…もういい、わしも兄者たちのもとへ行くぞ!」
馬武はもはやこれまで、とその手の中にある金のレンガで自分の頭を打ちつけ、直立不動で憤死する。
門前で自尽したとの知らせを受けて恐る恐るうかがう劉秀。硬直している馬武に太監が近づくと、ふいに金のレンガを持っていた手が振り下ろされて脳天直撃、太監まであの世行き。
憔悴している劉秀のもとに郭妃が現れる。
「奸臣が粛清されて清々いたしましたわね」
微笑む郭妃の言葉に怒り狂った劉秀は、剣を振り回して郭妃を殺してしまう。
劉秀は激しい後悔のもと宮殿の奥に閉じこもり霊を弔うことにする。
霊魂であることを示す黒い沙を被っている姿で次々と粛清された臣下たちが登場。中央の祭壇の両翼に並び立つ。
「寒風が突き刺すように体に染みる」
冠を外して体を震わせながら劉秀が登場。
「陰鬱なあの世の風がさんさんと朕の骨に突き刺さるよう」
込み上げる後悔の念を鬱々とうたいあげる劉秀に亡霊たちが声をあげる。
「命をよこせ!」
亡霊たちに恐れおののく劉秀。激しい動きで狂気を表す、老生の流派はもちろん俳優そのひとの様々な技が繰り出される見どころ。
最後に金のレンガを手にして仁王立ちする馬武を前に命が果てる劉秀の姿で幕切れ。