2024/02/06更新
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中国近現代史と共に歩んできた京劇の歴史。
京劇は伝統演劇として中国の文化を内包する一方、それぞれの時代を映してきました。中国の近現代史はまさに激動の歴史です。
ざっくりとではありますがここではその流れを追います。
1790年頃~ 清代
政治と文化の中心地・北京で、皇帝という政治的パトロンを得て地方劇が融合。それを楽しむ一般大衆によって育て上げられ、最初のピークを迎える。
「老生」がブーム。
1840年頃~
欧米との交易が盛んになる。
京劇として形を整えつつ、上海へも波及して南派京劇として発展。
世界への目が向けれた知識人たちが見聞を広めて京劇の改良運動が起きる。
1910年頃~
京劇は一般大衆の娯楽として新しいものをどんどん取り入れて発展、再びピークを迎える。
「旦」がブーム。新聞の人気投票によって人気女形4人「四大名旦」が選ばれたのもこのころ。
1930年頃~
中国は日本との戦争状態に入る。中国の国土は日本軍による淪陥区、国民党による国統区、共産党による解放区と分かれる。
民衆への教化・宣伝手段として京劇が重視される。
戦火の中、舞台を降りる俳優もいれば、民衆を励ますために過去の物語を題材にどんどん新しい芝居をつくる俳優もいた。
1949年~
中華人民共和国が成立。
徐々に安定期に入り、これを受けて毛沢東が言論や思想の自由を認める「百花斉放、百家争鳴」運動を提唱。
安定と共に俳優たちも北京に戻ってくる。共産党の指導のもと、思想、風紀を正す目的で戯曲改革が始まり、文芸界は一時期活気を取り戻す。
1956年頃~
毛沢東は人民公社の成立と大躍進政策をとる。飢餓による人口の減少と経済危機に陥り、劉少奇により調整、回復を目指す。
1966年頃~
江青ら「四人組」主導の階級闘争奨励により時代は文化大革命へと突入。
「改戯・改人・改制」をスローガンとして演目の整理、役者の思想学習、演劇界の制度改革が行われる。才子佳人が彩る伝統劇は上演禁止。革命現代京劇「様板戯」(模範的な演劇)一色になる。
1977年頃~
「四人組」逮捕により文化大革命は終わりを告げる。鄧小平の指導のもと、改革開放経済政策をとり経済的発展を遂げていく。
伝統劇が復活するが、かつての名優たちの多くがこの世になく、かつての時代に慣れ親しんだ老人たちは満足できない、中高年にとって京劇といえば共に育ってきた革命現代京劇のことでなじみが薄い、若い世代は見ても解らない、といった状況で京劇は今の時代の在り方を模索、時代と共に変化している。
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