2023/04/06更新
2月3日は節分。
あの世の鬼たちを率いる鐘馗さまと、清廉潔白の官吏・包拯が登場する猟奇殺人事件絡みのお話を紹介します。
あらすじ
南陽の緞子商人・劉世昌は集金を済ませて使用人の劉昇とともに家に戻るところ、雨に遭って窯業を営む趙大の家に宿をとる。
劉世昌の金品に目がくらんだ趙夫婦は二人を毒殺し、死体を隠すために切り刻んで泥に入れ、それで烏盆(黒い鉢)を作る。
それを見ていたあの世の判官・鐘馗は、劉世昌の魂に証人になることを約束する。
草履作りの老人・張別古は趙大に作った草履の代金をもらいに来たが、お金の代わりにその烏盆を渡される。すると突然烏盆がしゃべりだし、張別古は驚く。それは劉世昌の魂であり、趙大夫妻を訴えて恨みを晴らさせて欲しいと張別古に頼む。
張別古は知縣・包拯に訴え、劉世昌は判官・鐘馗を証人に趙夫妻の悪事を暴露し、趙夫婦は捕えられ、見事雪辱を晴らす。
ポイント
またの名を《烏盆記》。
前半は老生の「槍背」「甩圓圏髪」「僵尸」など技や花臉の鐘馗の登場がみどころ。「噴火」「朝天蹬」など技を楽しませてくれる。
後半の劉世昌による自分が死んだいきさつをうたうところがききどころ。
烏盆を真中に舞台向かって右手に張別古、左手には薄い黒いベールをかぶってぼ~っとたたずむ劉世昌。幽霊なんて不気味、面倒なことには関わりたくないという張別古がごねだすと、たたってやらんばかりに頭痛を見舞わせる劉世昌。
一見、猟奇殺人でおどろおどろしいかと思いきや劉世昌と張別古とのやりとりは実にユーモラス。
行当
劉世昌 生 老生
張別古 丑 文丑
包拯 浄 黒頭花臉(銅錘花臉)
鐘馗 浄 架子花臉
劉昇 丑 文丑
趙大 丑 文丑
趙妻 旦
解説
馬を連れている様子を表す「馬鞭」を手に、劉世昌が使用人の劉昇とともに登場。
商売で故郷を離れて幾年月。家族に早く会いたいと家路を急いでいた。
一方、窯業を営む趙大夫妻。
今日は天気がいいからと、鉢を日に晒そうとして二人で鉢を運ぶ。ここは実際、本物の鉢を運ぶわけではなく動きで表現。
外に出した途端、曇ってきたからと再び運び入れ、運び入れたと思ったら晴れてきたからまた外に出すというのを繰り返す。このやりとりは笑いを誘うところ。
再び劉世昌、急に雨が降ってきて体がびしょぬれ。この辺で宿を借りようと、趙大の家を訪れたのが悲劇の始まりだった。
親切に応対しながら劉世昌が商売をうまくやってお金をたんまり持っていると踏んだ趙大はこっそり妻を呼ぶ。
「いいカモが来た!毒酒の用意だ!」
「わかったわ!」
劉世昌と劉昇は、素直に親切だと感謝しながら喜んでご飯を食べ勧められた酒を飲む。
「もう遅いですからゆっくり休んでください」
と言って趙大は下がり、劉世昌と劉昇は床につく。
テーブルにひじをついて片手で頭を支え目を瞑る。これで眠っているという動作。
しかし、しばらくして異変が…。
劉世昌 〈唱〉刀で腹をかき回すようだ、どうしたことだ?
ああわかった、これはきっと趙大のしわざ!振り返って劉昇を呼ぶ。
劉昇、劉昇、劉昇よ!
〈唱〉私はきっとあの世行き!南陽のほうに向かって声高らかに叫ぶ。
父よ!母よ!
〈唱〉冥土へ参ります…。
劉世昌は苦しみだし、帽子を脱いで椅子から立ち上がる。
そして勢いよく机を飛び越え前転(「槍背」)。
それからしゃがんだまま首をぐるぐる激しく回すとともにポニーテール状の髪の毛が勢いよく振り回される(「甩圓圏髪」)。
再び立ち上がり体を思い切り後ろに反らせたぎりぎりのところで、突然首だけ思い切りうつむかせて顔をポニーテールの髪が覆い、そしてバッタリ倒れ込む(「僵尸」)。
時をおかず傍らに寝ていた使用人の劉昇も苦しみだし、何か技を見せるのかという素振りを見せながらあっさり死んでしまう。劉昇はコミカルな演技を見せる丑が演じている。
趙夫婦が現れてふたりが死んだのを確かめた後、切り刻んで鉢に埋め込んでしまおうと死体処理にとりかかろうとする。
そのとき、妻が壁に飾ってある絵の鐘馗がこちらをにらんだと言っておびえる。趙大は気のせいだと言って、二人は死体を片付けにかかる。
鐘馗とはあの世の悪霊退治の神様。
唐代、科挙の試験を受けるために都に行く途中、誤って鬼の巣窟に入ってしまい顔が醜く変わってしまった。そのため成績優秀だったのにも関わらず皇帝に嫌われて不合格になり、絶望して死んでしまう。その才能を惜しんだ天帝があの世で採用する。
友人に自分の妹を嫁がせるのために子分の鬼たちを引き連れて家まで送って行く《鐘馗嫁妹》という芝居が古くから有名。
その鐘馗が現れて、劉世昌の魂を呼んで証人になることを約束する。
このときの鐘馗の登場がまたみどころ。
舞台は暗くなり、口の中に松脂を含ませた丸い管を仕込んで火花を吹かせる(「噴火」)。
また、足先を横から頭までまっすぐに持っていく(「朝天蹬」)など技を楽しませてくれる。
《鐘馗嫁妹》でも、それを存分に見せてくれる。
鐘馗は本来醜いということで複雑な臉譜が施されて衣装も特異なのだが、奇妙美とも言うか揃うと返って美しさがある。動きは滑稽さがあり、可愛くすら感じる。
月日は流れ、それから三年後。
張別古が登場。演じるのはコミカルな演技を得意とする文丑。
趙大のもとに草履の代金を集金にきた張別古。すっかり身なりの良くなった趙大は財を成した様子だが張別古には金はないと言い張る。
「これ持ってを早く出て行け!」
とお金の代わりに渡したのが、死体が埋め込まれたあの烏盆(黒い鉢)であった…。
「趙大はワシと同じようなもんじゃったのに、突然金持ちになっちまってこりゃいったいどうしたことだ?」
と訝しがりながら歩いているといきなり
「張別古!」
と呼ぶものがいる。
「え?どちらさんで?」
辺りを見回しても誰もいない。
実際の舞台では劉世昌が薄くて黒い布を頭から被り、黒い服をまとってボーッと佇んでいる。この劉世昌の扮装は魂を意味しており、張別古には劉世昌の姿が見えない。
「怖がらないでくれ。どうか話を聞いて私の無念を晴らして欲しい…」
ビックリした張別古はまずは御祓いしようと廟に入ってお願いするが効き目がない。
張別古は急いで家に帰る。
このとき張別古がカギを開けて玄関を開ける動きをしながらうたうのは「数板」というリズム感がある節で、さながらラップのようである。中国語には声調というものがあって言葉自体が音楽のようであり、「数板」は声調そのままを口ずさむ節。
「さあ、しっかり戸締りしたし、これで幽霊も入って来れるもんか!」
と息巻くがすかさず
「張別古!」
と呼ぶ声。
「うわあ!家の中まで入ってきちまった!」
「お爺さん!」
「なんか話があるのかい?!」
舞台では烏盆が真中に置かれ、向かって左手に張別古、右手に劉世昌。
劉世昌はせつせつと事情を張別古にうたってきかせ始める。張別古が尋ねてそれを劉世昌がうたって答える、ここはこの芝居のききどころ。
劉世昌 〈唱〉口も開かぬうちから涙が溢れ出す。お爺さんどうか聞いていただきたい。
張別古 家はどこだい?
劉世昌 〈唱〉家は南陽城の関の外れです。
張別古 城からどれくらいかね?
劉世昌 〈唱〉城から十里のところにある太平街です。
張別古 名はなんというのかね?
劉世昌 〈唱〉劉世昌です。そこには先祖代々住んでおります。
張別古 仕事は?
劉世昌 〈唱〉もともと農業に従事していましたが、母の言いつけで上京して商売を始め、緞子を扱って財を成しました。三年前商品を売り、集金を終えて家に帰るところ、定遠縣の堺に来て突然雨が降ってきました。使用人とともに趙の窯の外れに一夜の宿を借りたのが災難の始まり。趙大夫妻は私を殺して弔うことなく、鉢に練りこみ売りに出し、幸いにもあなたが集金に来ました。私の無念の思いももうすでに三年、すでに三年経ってます。お爺さん!
訴えをうたに乗せて聞いた張別古、何につけても幽霊にあって気持ち悪い。
なんとか祓ってやろうと考えて、幽霊は汚いものをいやがるというので昨日の晩に別の鉢にしたおしっこをこの鉢にかけようと鉢を持ってくる。しかし、劉世昌がさっと水袖を振ると、逆に自分にふりかかってくる始末。
劉世昌は続けて自分の無念をうたう。ここでうたわれる「反二黄」という節回しは悲しい気持ちを訴えるのにうたわれる。ここもききどころ。
張別古 結局お前さんの代わりにワシに訴えて欲しいんじゃね?
劉世昌 はい。
張別古 そんなこと言われても、ワシは役人の前で話なんてできっこないよ。
劉世昌 訴えてください。
張別古 行かないよ。
劉世昌 行って下さい。
張別古 行かない。
劉世昌 ならば頭痛に悩まされるぞ!
劉世昌が張別古に向かってサッと右手を払って白い水袖が舞うと、張別古は突然頭を押さえて苦しみ出す。
張別古 あたた!痛い痛い!行くよ行くよ!まったく…ワシが呼んだら返事するんだぞ!
劉世昌 はい。
張別古 怪しいかな怪しいかな誠に怪しいかな~♪ おい、盆!
劉世昌 はい。
張別古 ワシは今お前を蓮台に連れてってやるからな~♪ おい、盆!
劉世昌 はい。
張別古 お前さんは無念を抱えてる~♪ おい、盆!
劉世昌 はい。
張別古 わしにしっかりついてくるんじゃぞ~!
張別古はしぶしぶ言うことを聞く羽目になる。
「盆兒!(おい、盆!)」と呼んで耳を盆に近づける張別古。少し離れた後ろの方で相変わらず両手をだらりと伸ばして佇み「有(ここに)」と低く答える劉世昌。
このやりとりはちょうど三度。その間、舞台をゆっくりぐるぐる回るのだが、霊魂の姿が一向に見えないまま烏盆を片手に話し掛ける張別古、その後ろをボーッとついていく劉世昌の様子は奇妙なおかしさがある。
張別古がうたうように話し掛ける様子は実にリズム感があふれている。
一見内容は猟奇殺人でおどろおどろらしいが、二人のやりとりは実にユーモラス。
こうして張別古は、清廉潔白で名高い包拯のもとへ訴えに来る。
張別古は包拯に事情を話し、いざ劉世昌自身に訴えさせようと劉世昌を呼ぶ。だが、さっきまで呼ぶ度に返事をしていたのに、いざ包拯を前にして劉世昌はうんともすんとも言わない。
張別古は法廷から追い出される。怒る張別古に劉世昌は
「門神が守っていて入れない」
と言う。それを包拯に話し、門前で紙銭を燃やしてもらう。
再び張別古は烏盆を手に法廷に入って呼んでみる。が、やはり何も言わない。
焦る張別古。
「おい、盆!」「はい」
と盆に向かってひとり芝居を始めた張別古。ふざけていると思い込んだ包拯は罰として棒たたきにして追い出す。
痛みに泣いて怒る張別古に劉世昌は
「趙夫婦に身ぐるみはがされ体は血まみれ。このままでは礼を逸するので衣服を賜りたい」
と言う。なんと生真面目な霊魂であろうか。こうして烏盆の上に服がのせられ再び包拯に目通りする。
「皆のもの聞け!盆!」
「はい」
「盆よ!」
「はい!」
「盆!」
「はい、ここに!」
呼びかけに対してしかと返事が聞こえた包拯は、満足したかのように会心の笑い声をあげる。
「ハハア、ハハア、ハハハハハハ…!」
この荒々しい声で間をとって最後に勢いよく笑う「三笑」は、花臉の特徴ある演技のひとつ。
包拯は誤って棒たたきにした張別古に銀子を与える。思わぬいい稼ぎに張別古は調子に乗って烏盆がまだまだ訴えていると言ってさらに要求するが、包拯に用は終わったと追い出される。張別古もこの賤しいところがまた人間らしい。
包拯は劉世昌の訴えを聞き、趙夫婦を捕え、審問にかけて一件落着となるのであった。
包拯についてはこちらの記事をどうぞ
鑑賞
天津市青年京劇団
劉世昌:張克
張別古:石暁亮
ききどころの[反二黄三快眼]より
京劇《烏盆記》《碰碑》【名段欣賞20170512】