2023/11/12更新
無敵の若き戦士 数奇な運命を経たかたき討ち
あらすじ
南宋の将軍・岳飛は国境を接する金の軍を率いる陸文龍に敗れる。
陸文龍の父は宋の官吏だったが、十六年前に城を金軍に攻め込まれて亡くなっていた。
宋の参謀・王佐は偽って投降して金の軍営に入る。王佐から自分の身の上を知らされた陸文龍は宋軍に協力して仇を討つ。
ポイント
前半《八大錘》は無敵の陸文龍の槍使い、俳優の腰や関節の柔らかさを駆使した技が見物。
後半《断臂説書》は王佐の唱がきかせる。投降を信じさせる手段として自らの左手を斬る動きや講談の場面は緊張感が漂う。
折子戯(一折の芝居)としてそれぞれ演じられたり、かつて李少春や歴慧良のようにひとりの俳優が陸文龍、王佐と通しで演じることもある。
またの名を《朱仙鎮》、《車輪大戦》、《陸文龍》。
王佐(宋軍の参謀) 老生
陸文龍(兀術の養子) 小生または武生
乳娘(陸文龍の乳母) 老旦
岳飛(宋軍の将軍) 武生
兀術(金国の狼主) 浄
解説
《八大錘》
ときは南宋。
潞安州節度使の陸登は金軍に城を攻め込まれる。
投降を良しとせず陸登は自刎、妻は縊死する。残された赤子の陸文龍は乳母とともに金軍の兀術に引き取られる。
それから十六年後、金軍は朱仙鎮で将軍・岳飛が率いる宋軍と対峙する。
すっかり成長した陸文龍が颯爽と登場。
頭に頂く「紫金冠」、長い孔雀の羽「翎子」を挿し、後ろには白いふさふさした「狐尾」、玉帯にピンクの「蟒」。
北方生まれではあるが、南方の装いを好む陸文龍。父と信じる金兀術の中原征服を助けるために乳母とともに参軍する。
宋軍の将軍たちと次々と戦うが皆、陸文龍の敵ではない。
このときは「蟒」を脱いで「箭衣」になり両手には二本の槍「双槍」。
宋軍を蹴散らし、陸文龍は得意になって誇らしげに槍を弄ぶ場面がこの芝居のみどころ。
片足の踵のあたりを掴んで高々と持ち挙げ、その足先を前方に移動しながらゆっくりとしゃがむ。立ち上がりながら戻して再び片足で立つ。これを三回、「三起三落」という技。
柄の先に鉄球がついている武器「錘」を両手に持った宋軍の武将たち四人と立ち回りを繰り広げて武場の軽快な響きとともにさまざまな決めポーズを披露する。
「はは、はは、はははははははは」
笑い声も高らかに陸文龍は下がる。
鑑賞(1)
上海京劇院の金喜全が演じる陸文龍
三起三落の技からご覧いただけますがもちろん最初からぜひ!
《断臂説書》
一方、宋の軍営。陸文龍にやられて頭の痛い将軍・岳飛。
参謀の王佐が陸文龍の名を聞いて驚く。
「彼は陸登の子ではないのですか?なぜ親の仇の味方をするのです?」
「陸文龍はそのときわずか三ヶ月の赤子。何も知らないのだ」
「ではわたくしが偽って金軍に降り、陸文龍を説得いたしましょう。いかかでございますか?」
岳飛はとりあわなかったが、自分の帳に戻った王佐はそれを本気で考える。
「想い起こすは洞庭に在りてさ迷い 今のように宋の禄を食んでいなかった頃 岳大兄が私を手足のように遇してくれた この王佐 功を立てずにどうしてこの栄光を受け入れられようか…」
国のため、岳飛への恩に報いるため、王佐は対応策を昔の書の中に求める。
「『前唐』?ダメだ!『後漢』は?おお!」
いま、宋が金と戦っているように漢代は匈奴の侵攻が著しかった。
遠征した漢の将軍・衛津と蘇武は捕虜となる。衛津は匈奴に降って仕官するが、蘇武はそれを潔しよしとせず、羊を放牧して暮らして祖国への忠誠を貫いた。この話は京劇《蘇武牧羊》という芝居に描かれている。
国へ尽くす忠誠は岳飛や自分と同じ、感心しつつもやはり策が浮かばない。
次に『東周列国志』を紐解く。それを見て突然緊張した王佐。
春秋時代、クーデターによって呉王となった闔閭と謀臣・伍子胥から差し向けられた刺客・要離が先代の公子・慶忌を暗殺する『要離刺慶忌』のくだり。要離は自ら切断した手を闔閭に斬られたと語り慶忌に近づく。
「腕を断ちて慶忌を刺す!腕を断って慶忌を刺すだと!…私もそれに習おう!」
いったん下がり再び現れると手には宝剣を持っている。ここは見せ場。
「生死は天に任せよう…」
意を決して宝剣を左手に思い切り振り下ろす。
ぽーんと投げ出される宝剣、一回転する「吊毛」という技。
気を失った王佐は部下たちに急いで助け起こされる。髪の毛は乱れて憔悴している王佐。
自分の断ち切った左手(ご心配なく。これは作り物で実際の左手は水袖で隠れています)を持って、さっそく岳飛に金の軍営に行くことを告げる。
王佐は金の軍営に行き、投降を受け入れてくれるように申し入れる。
怪しんでいた金兀術だが、金軍へ投降するように岳飛に諭した結果斬られたと言う王佐の左手を見て信用する。そして「苦人児」という新しい名を与えて投降を認めるのであった。
しばらくして王佐は陸文龍の帳を訪れる。
陸文龍は不在で乳母がおり、お互い同郷であることから打ち解けて話しているうちに陸文龍の両親の忠節を忘れていない乳母の本心を聞く。王佐は自分の本来の目的を明かして乳母に陸文龍を説得するために協力を求める。
そこへ陸文龍が戻ってくる。
挨拶を交わした後、王佐が講談を嗜むというので陸文龍は乳母と共に鑑賞することにする。
「忠臣もの、奸臣もの、どちらがよろしいですか?」
「僕は忠義者が好きだ。ずるいやつは嫌いだよ」
さて講談を始めようと王佐が「バン!」と堂木で机を叩くとその音にビックリする陸文龍。
「これは決まりですから」
「ああ、決まりなんだね」
じわじわと緊張感が高まる中にもコミカルな間。
王佐は北宋・真宗の時代の忠臣、楊延昭の話を持ち出す。京劇でもたくさん取り上げられている楊家の物語のひとつ。
楊延昭は奸臣の讒言によって敵国の名馬を奪ってくるように命じられる。部下の孟良が見事成し遂げるも、その馬は故郷を思って草を食べることなく餓死してしまったという話。
「その馬は故郷を思う気持ちがあったのです。今の人はそれに及びましょうか」
バン!と堂木を打ち鳴らす王佐。
「終わり?」
「はい」
「つまらないなあ、盛り上がりに欠けるよ」
「ふむ、ではあなたの父上のことを…」
「聞きたい!聞かせて!」
「お待ちください、ここに画がございます」
王佐が画を広げて掲げると、そこに描かれているものを見て泣き出しそうになる乳母を王佐は暗になだめる。
一方、興味津々でその画に見入る陸文龍は描かれている人物たちについて矢継ぎ早に訊ねる。
「宝剣を持って自分の首を掻き切っているこの将軍は誰?首を吊っているこの女のひとは?」
王佐はそれぞれが国への忠義故に死んでいった者たちだと答える。また、その忠誠心に敬服して礼をしている人物は金兀術だと聞いて、陸文龍はそれに倣って画に向かって礼をとる(この無垢さが悲壮感増しますね…)。
「忠義の士は絶えることはないのです」
という王佐に
「そうです。忠義の士は絶えません」
と同調する乳母。
「そばにいる赤ん坊を抱いている女の人はなぜ泣いているの?」
「この人は乳母で、抱いているのは陸家の三ヶ月にもならない赤子。一家の死があまりにも酷くて泣いているのです」
王佐の説明を聞いている陸文龍の傍らで乳母が泣いている。
「なぜ泣いているの?」
「あまりにもこの一家が哀れで…」
乳母にこれはお話だとたしなめる陸文龍。
「その子はどこに?」
「わが君が奪っていかれました」
「父が?え?今、何歳?」
「ええっと…」
王佐に向かってそっと乳母が身振りで伝える。
「ああ、十六。十六歳です」
「僕と同じ?」
「殿下は十六歳でございますか?」
「そうだよ」
「いやはや、すごい偶然ですな」
「本当にすごい偶然です」
乳母も合わせて答えると
「あはははははは」
三人は共に笑いあう。
「この子の才能は?」と訊ねる陸文龍。
「まさに天下無敵です」
「あははは…笑わせるよ。天下無敵ならどうして仇をとらない?」
「仇ですか…なんと恨めしいことか!」
「どういうこと?」
「その子は親の仇は知らされず、仇が父となっているのです!」
徐々に真実に近づいていく緊張感が高まる。
「その子は…なんていう名前?!」
「ああ…あの…それは…うう…」
言いよどむ王佐。だが思い切ってその名を口にする。
「…陸…陸文龍!!」
「苦人児!なんと大胆な!僕をからかっているな!どういうことだ!はっきり言わないと殺すぞ!」
「ああ殿下!これはあなたの家のことでございます!!」
驚いて激昂する陸文龍に全てを知る乳母が間に入る。
「なんだって?!」
「あなたの家のことなのです!!」
「ええ!?」
真実を知った陸文龍はさっそく王佐を通じて宋軍の岳飛と呼応し、兀術を討つのであった。
鑑賞(2)
王珮瑜が演じる王佐 左手を斬る場面から
上海京劇院による上海・逸夫舞台での上演
陸文龍は金喜全が演じる《八大錘》から続いて《断臂説書》最初から通しでぜひ!