中国京劇雑記帳

京劇 すごく面白い

京劇演目紹介《乾坤福寿鏡》(《失子驚瘋》)

2024/05/05更新

 

四大名旦のひとり尚小雲の代表作

赤子は何処 正気を失い すべては鏡のもとへ

 

あらすじ

 明代。穎州知府・梅俊の正妻である胡氏は臨月を迎えており、妾の徐氏に妬まれて命を狙われる。胡氏に仕える寿春はその企みを知り、胡氏と共に逃げ出す。

 胡氏は道すがら無事出産するが、山賊に連れ去られて赤子と引き離される。なんとか逃れたものの赤子の行方がわからず胡氏は狂ってしまう。

 赤子は寧武関総鎮守の林鶴により保護されていた。赤子が身に着けていた家宝の福寿鏡を手掛かりに十七年後、胡氏は子どもと再会して正気を取り戻す。

 

ポイント

 四大名旦のひとり尚小雲の代表作のひとつ。かつて王揺卿が演じていたのを尚小雲がアレンジ。さらに楊栄環が改編、上演している。

 胡氏が赤子を見失って狂ってしまう姿は水袖の技と激しい動きを駆使して表現される見どころ。戸惑いながらも胡氏に仕え続ける献身的な寿春の姿は胸を打つ。

 

胡氏(梅俊の正妻) 旦

寿春(胡氏の侍女) 花旦

林鶴(胡氏の子どもの養父) 老生

梅俊(胡氏の夫) 老生

徐氏(梅俊の妾) 旦

林弼顕(胡氏の子ども) 小生

金眼豹(山賊の頭目) 浄

山婆(金眼豹の妻) 丑

 

解説

 

 穎州知府・梅俊には正妻の胡氏、妾の徐氏とふたりの妻がいた。なかなか子を授からなかったが、胡氏が身籠り十四か月を迎えて家宝の福寿鏡を授けられる。

 福寿鏡は「福」「寿」のおめでたい文字が装飾された金属製の鏡。

 徐氏は趙半仙という男にお金を払って占い師を語らせて、胡氏が十四か月たってまだ出産しないのは妖怪変化を身籠っているからだと梅俊へ伝えさせる。

 それを信じて家の体面を気にする梅俊は徐氏にそそのかされて、中秋節の宴を開いた際に酒を飲ませて池に落とし、胡氏を溺死させようとする。

 胡氏のそば近く使える寿春は偶然その企みを耳にして胡氏に知らせる。

 

 三十六計逃げるに如かず。身重の女一人で逃げるなんてと怯む胡氏にもちろん一緒に行きますと答える寿春。都にいる親戚を頼ろうと提案する。

 山道を急ぐ中、胡氏は産気づき無事男の子を産む。胡氏は赤子に家宝の福寿鏡を身に着けさせる。

 胡氏の乳の出が悪いため、寿春は食べ物を調達しに村に赴く。

 胡氏は岩の上に座り赤子を抱えて寿春を待っているところ、山賊の頭目・金眼豹が手下を引き連れて現れる。美しい胡氏を見初めた金眼豹は攫って妻にしようと企む。

 胡氏が抵抗してもみ合っているうちに、赤子が金眼豹の手に渡り胡氏は手下たちに無理やり連れ去られていく。金眼豹は赤子は無用とばかりにその場に放置する。

 ほどなくして警邏にきた林鶴が置き去りにされた赤子を見つけて保護する。

 

 砦に戻った金眼豹は胡氏を第二夫人にしようと妻の山婆に話を持ち掛ける。山婆は嘆き悲しむ胡氏の事情を聞いて同情する。山婆は砦にあるお金を渡して胡氏を解放するのであった。

 急いで山を下りて寿春に無事逢うことができた胡氏。お互いほっとするのも束の間、赤ん坊…!赤ん坊はどこに?!!

「あなたが抱えていたのではないの?!」

「わたくしが離れる際、奥さまは若さまを抱えて岩の上にお座りになってお待ちになっていましたでしょう。よく思い出しになって」

「そうよ!思い出して思い出して!」

 必死で思い出しながらひとつひとつ自分の動きを反芻していく胡氏。自分を無理やり連れ去ろうとする山賊らに抗っているうちに、抱えていた赤子から手を放してしまったことに思い当たる。

「ああ!!」

 過酷な現実に失神する胡氏。再び目を開けるも半狂乱になって動き回る。

「こうなったら落ち着いて探しましょう、奥さま!」

 必死になだめる寿春の声が耳に届かない。あらぬところに視線を向けて「ハハ!ハハ!アハハハハハ!」と狂気に満ちた笑い。

 胡氏の目つきや表情がくるくると変わり予測のつかない動きに怯える寿春。

「まあ、あの子ったらあの雲の向こうに…南天門で寿老人とお酒を嗜んでいるわ」

「奥さま!何をおっしゃっているの?日の光です。あれは日光ですわ」

「あ?」

 倒歩、抓袖、扔袖、投袖、屁股坐子と次々と技が連発。その激しさに狂気と悲しみが炸裂する。

「わたくしも南天門に行って遊ぶの…あの子を追いかけなくては」

「追わなくてもよろしいですよ奥さま!」

 

瘋癲の胡氏

 

 三か月後、林鶴は桑園で狂ってさまよっている胡氏に出会う。

 林鶴は寿春から事情を聞くが、胡氏の病状が深刻なさまを見てまずは治療と回復を促す。都の親戚を頼るという寿春にお金を渡して足りなくなったら伝えるよう手配する。

 

 十七年後、林鶴に養育された赤子は林弼顕として成長する。その間、胡氏らの行方はわからなくなっていた。都へ昇任した林鶴は福寿鏡の存在を広く知らしめて持ち主に返す旨を布告する。

 依然として正気を失っている胡氏を連れた寿春が林鶴のもとに現れる。そこでとうとう再会を果たすが、林弼顕が身に着けている福寿鏡を見て胡氏は驚いて気を失う。そして目を覚ますと徐々に正気を取り戻す。

「母上!」

「え?まさか、違うわ。寿春が蒸し菓子を買いに行ったときに抱えていた赤子がなぜもう大人になっているの?」

「奥さまはあのときのことをはっきりと覚えておられますのね。赤子を見失って何もかもわからなくなってしまわれたのですよ」

「どのくらい?」

「十七年です」

「十七年?!本当に?」

「本当に」

「ああ!」

 その苦しく悲しい年月を思い三人は抱き合って泣き声をあげる。

 そして、布告を見て家宝の福寿鏡を取り戻そうとやってきた梅俊と徐氏は林鶴によって罪が白日に晒される。徐氏と趙半仙は獄につながれ、梅俊は後悔、謝罪してあらためて家族皆揃って再会を果たすのであった。

 

 芝居は脚本の整理、改編がつきもの。

 胡氏の赤子・林弼顕は画から自身の身の上を知り、状元となって都を行く中、彷徨う胡氏と寿春に偶然出会って再会を果たす、胡氏と寿春が身を寄せていた梅俊の姉・鄭梅氏が母子再会後に梅俊を詰問、罪を明らかにさせて徐氏は井戸に身を投げる等、整理、改編されています。

 

全編はこちら

 

鑑賞

京劇《失子驚瘋》1962年資料映像

 胡氏:尚小雲(当時62歳)

 寿春:尚長鱗(当時31歳)

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