中国京劇雑記帳

京劇 すごく面白い

京劇演目解剖 四郎探母

2023/11/12更新

 

 京劇《四郎探母》。

 昔から頻繁に上演されてきた演目のひとつであることに違いありません。この話は中国ではよく知られている『楊家将演義』という宋代の名門・楊家の物語のひとつです。

 

 

あらすじ

 ときは北宋

 北方の異民族国家「遼」が勢力を増し、国境を接して交戦状態にあった頃。

 宋と遼の戦争の最中、宋の将軍・楊延輝(楊家の四男という意味で「楊四郎」とも呼ばれます)は捕らえられます。四郎は名を変えて素性を隠し、敵国・遼の鉄鏡公主と結婚します。

 十五年後、弟の楊延昭(楊家の六男「楊六郎」)が元帥となって、母の佘太君が食糧を運送するために国境近くに駐屯していると聞いた四郎は、思慕の念に駆られます。

 戦況が緊迫する中、母に会いに行く術もなく鬱々としている四郎から事情を聞きだした鉄鏡公主は、亡き父に代わって国を治める母・蕭太后に偽って関越えに必要な令箭(許可書のようなものです)を盗み出します。四郎は夜明けまでに戻ってくることを約束し、関を越えて宋の陣営へ向います。

 見回りをしていた六郎の息子・楊宗保は四郎をスパイだと思って捕らえますが、四郎の持っていた宝剣を見て六郎は四郎その人だと知ります。四郎はついに母をはじめ身内と対面。思いがけない再会を泣きながら皆喜びあいますが、それも束の間、四郎は鉄鏡公主との約束通り遼に戻っていきます。

 しかし、蕭太后の知るところとなって四郎は捕らえられてしまいます。蕭太后の怒りを買って斬首されるところを、鉄鏡公主の懇願によって四郎は許されたのでした。

 

登場人物と行当(役柄)

楊延輝(老生) 鉄鏡公主(旦) 蕭太后(旦) 大国舅(丑) 二国舅(丑) 楊宗保(小生) 楊延昭(老生) 佘太君(老旦) 四夫人(旦) 楊八姐(旦) 楊九妹(旦)

 

内容はこちら

 

 

舞台解剖

 この芝居は節目や行事など、名優が集まって演じるといった顔見せ的なところがあります。でもメインはやはり楊四郎=老生。ひとりの役者が通しで演じることもあれば、記念公演などでは場面毎に名優たちが代わる代わる演じることもあります。

 楊四郎の衣装で印象的なのが、冠にささったあの長い羽(翎子)と、後ろに垂れ下がったホコホコした白いもの(狐尾)です。

 身分の高いお姫様と結婚する(要は「逆」玉の輿に乗る)「附馬套」というお約束のいでたちに付いてくるのがこのふたつ。白いホコホコをつけるのは、異民族という意味合いがあります。異民族の王朝はたいてい寒冷地の北方にあるので防寒の意味合いも込められています。私はこの楊四郎のいでたちが大好きです。

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☝この白いホコホコ

 

 鉄鏡公主の役柄は「行当」に分けて言うにもすこし微妙です。

 「青衣」の性格よりは快活で、「花旦」の性格よりは大人で、「花衫」というほど動くわけではありません。台詞も砕けていて、衣装はチーパオ、髪型は大輪の花が真っ先に目に飛び込んで来る「旗装頭」と漢民族とはやはり風格が異なっています。それだけにいろいろの役者がやるので広がりがある役です。

 

 

 文戯(台詞と仕草が中心の芝居)なので、派手な立ち回りはありません。

 なんといっても良いのは《坐宮》の場面の楊四郎と鉄鏡公主のやりとり。この芝居、クライマックスは最初の掴みからきます。

 特に《坐宮》の後半、「西皮快板」の早いリズムでの唱の応酬は素晴らしい。極めつけは最後に楊四郎が水袖を翻して高々と片手を挙げて「叫小藩!」と思いっきり高音域でうたいあげるところ。ここは役者、老生としての技量の見せどころで、聴きどころでもあります。観客はもちろん心得ていて、この部分を待ち焦がれており、役者も気合が入ります。「じぃあおしぃぁあお」で溜めて一気に高音で「ふぁぁぁぁぁあん!」とうたうと客は「待ってました!」とばかりに割れんばかりの拍手と共に「好(ハオ)!」と一斉に声を掛けまくります。

 

 

 この《坐宮》だけ上演されることもよくあり、時間にして45分くらい。通しですべて上演すると二時間半ほどです。四郎の妻・四夫人が登場する場面はカットされることもあります。

 この芝居は全体的に喜劇で明るいです。特に楊四郎の首を斬ると言って怒る蕭太后が関を見張っていた国舅たちの過失を咎める台詞のやり取りは面白いです。

 国舅の行当「丑」は道化で、台詞は話し言葉。鉄鏡公主が蕭太后に謝るよう国舅たちから説得されるところは「太后様がお笑いになれば、あなたもハッピー。俺たちもハッピー。ハッピーエンドで芝居が終わってお客さんも俺たちもハッピーで帰られるわけです。さあ早く早く!」という感じで、アドリブが入ることもあります。

 

 

物語解剖

 京劇は喜劇で、お正月などのめでたいときに演じるにはうってつけなのですが、江西省の地方劇・上党梆子の《三関排宴》は同じ題材でもすごく悲劇です。

 両国の国境にある三関で遼の蕭太后と宋の皇帝の代理を務める佘太君との和平会談が開かれ、同席した楊四郎の正体が明かされます。佘太君は喜ぶどころか一族の恥だと怒り、蕭太后は楊四郎を国に帰すことにします。しかし、桃花公主(混在していますがここではこの名前)は楊四郎について行くと言い張り、蕭太后はみすみす自分の娘を人質にやるわけにはいかないので認めません。桃花公主は悲観してその場で自刎してしまいます。楊四郎は佘太君と共に国に帰りますが、周囲の反応は冷ややか。居たたまれない楊四郎は結局自刎してしまいます。

 これはこれでなんとも可哀そう。楊四郎の死を知った佘太君は悲しむどころか「死得好(死してよし)!」なんて言います。息子が生きていたことを無邪気に喜ぶ京劇とは違って、こちらは尊厳を捨てて富貴を貪っていた息子を責める、ストイックにひたすら国に忠誠を誓う戦士。桃花公主は鉄鏡公主のように快活な性格なのですが、この話においてその性格は空悲しい気がします。

 京劇に話を戻します。佘太君をはじめとする家族は、突然帰ってきてあっという間に行ってしまう楊四郎のなすことすべてを受け入れています。敵方の蕭太后も威厳に満ちているもののコミカルな感じで、結局四郎を許しています。鉄鏡公主にしても敵国の人間と結婚したのは、敵とはいえ相手は文明国の人、有能で見所有りと蕭太后が結婚させたという経緯があります。楊四郎が自身の身の上語りから泣き声をあげる場面は聴きどころのひとつ。楊四郎はメソメソしていますが、芝居の雰囲気は最初から最後まで明るいです。

 中華人民共和国の成立後の戯曲改革において、この芝居は「売国奴」「重婚」といった内容であり、芝居が民衆へ与える影響力の大きさを考えると「教育的ではない」と論争になりました。上演禁止措置になるのかと思いきや、「芸術性が高い」ということで結局保留に。理屈抜きでいいものはいい、それほど人々を惹きつけて止まない芝居ということでしょうか。

 

データ

 別名《四盤山》、《北天門》。『楊家将演義』第四十一回。

 小説では楊四郎は捕らえられて結婚するものの、目的は敵討ちの機会を窺うためで、後に宋軍と策応します。

 周明泰『道咸以来梨園系年小録』によると道光四年(1824)の慶昇平班のプログラムにこの演目があります。

 また、道光二十五年(1845年)刊の『都門紀略』には余三勝、張二奎、陳鸞仙(鳳林)等の俳優の得意な演目だったとあります。

 

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