2002/09/01初出 2023/01/10更新
同光十三絶
清代、画師・沈容圃によって描かれた同治・光緒年間に活躍した有名な昆劇、京劇俳優たち十三人の舞台衣装姿の絵のこと。
郝蘭田(老旦:《行路》康氏)
張勝奎(生:《一捧雪》莫成)
梅巧玲(旦:《雁門関》蕭太后)
劉赶三(丑:《探親》郷下媽媽)
余紫雲(旦:《彩楼》王宝釧)
程長庚(生:《群英会》魯粛)
徐小香(小生:《群英会》周瑜)
時小福(旦:《采桑》羅敷)
楊鳴玉(丑:《思志誠》閔天亮)
盧勝奎(生:《戦北原》もしくは《空城計》諸葛亮)
朱蓮芬(旦:《琴挑》陳妙常)
譚鑫培(生:《悪虎村》黄天覇)
楊月楼(生:《探母》楊延輝)
四大徽班
三慶班、四喜班、春台班、和春班のこと。三慶班は起承転結のある大芝居、四喜班は昆劇の芝居が得意で、春台班は若手の俳優が良くて勢いがあり、和春班は立ち回りの芝居に定評があった。
昇平署
清代の宮廷演劇機構。太監及び民間の俳優が宮廷の行事や祝い事をはじめ、普段の公演に携っていた。乾隆帝の時は「南府」という名称だったが、道光七年(1827)に改名した。
内廷供奉
宮廷で公演する芸人のこと。清末では主に宮廷で公演を許された宮廷外の劇団の京劇俳優のこと。
京派
「京」とは北京のこと。「京朝派」、一般には「北派」とも言う。
主に北京を中心とした基礎訓練と昔ながらの伝統、方法を重視した考え、芸風、その傾向のこと。
海派
「海」とは上海のこと。「外江派」、一般には「南派」とも言う。
上海を中心とした革新的、創造的で新しいものを受け入れる考え、芸風、その傾向のこと。
三鼎甲
老三傑。もともと清代の科挙(役人登用試験)制度において、殿試(皇帝から直接受ける面接)に受かった上位三名(状元、榜眼、探花)のことを言う。
京劇における「三鼎甲」は京劇形成期でも初期の傑出した老生俳優・程長庚、余三勝、張二奎の三人のこと。
その次の世代に当たる「後三鼎甲」、「後三傑」は譚鑫培、汪桂芬、孫菊仙のこと。
四大須生
「三鼎甲」の次の世代の1920年代では余叔岩、馬連良、言菊朋、高慶奎の「余馬言高」。
後に高慶奎がノドを壊して引退してからは譚富英の名が浮上して「余馬言譚」となる。
1940年代から50年代では余叔岩と言菊朋が逝去して世代交代し、楊宝森、奚嘯伯の名が挙がって「馬譚楊奚」となる。
南麒、北馬、関東唐
南方の麒麟童(周信芳)、北方の馬連良、東北三省の唐韵笙。三人は老生で台詞、仕草を主とするが、それぞれ芸風や味が異なり、その見事さを称えて言ったもの。
四大名旦
梅蘭芳、程硯秋、尚小雲、荀慧生。
京劇早期の頃は老生が人気であったが、後に旦がブームとなる。1927年北京の「順天時報」で一般から投票で選ばれたのをもとに、のちに言われるようになったそれぞれ独自の芸風をもった四人の女形のこと。
四小名旦
1940年に北京の「立言報」が一般から投票で選んだ若手の女形・李世芳、張君秋、毛世来、宋徳珠の四人が《白蛇伝》で自分の得意とする場面をそれぞれ分担して演じたことから言われた。
三大賢
京劇界において言われる名称のひとつ。
意味には二通りあって、一つは老生の代表的な三人、余叔岩、馬連良、高慶奎のこと。
もう一つ一般によく言われるのは梅蘭芳(旦)、余叔岩(老生)、楊小楼(武生)の三人のこと。
梨園公会
昔の俳優の労働組合。
多くは大都市にあり、名称はそれぞれ異なる。北京では「梨園公益会」、天津では「梨園公会」、「同業公会」、上海では「伶界聯合会」、広州では「瓊花会館」など。
清代の北京では「精忠廟」、民国時代初期では「正楽育化会」がその役割を担った。